伯夷と叔斉 義をつらぬいて窮死し、孔子に顕彰された兄弟について

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儒教の聖人となる

儒教を創始した孔子は、伯夷と叔斉を聖人として取り上げ、その行いを褒め称えています。

兄弟で争わず、長幼の順を重んじ、父母の喪に服し、主君に謀反を起こすべきではない、という主張は、そのまま儒教の道徳に合致しています。

儒教的な倫理観は孔子以前から存在しており、それを体系化して世に根づかせようとしたのが孔子であった、ということになるのでしょう。

やがて儒教は歴代の中国の王朝に採用されるようになり、人々の精神に強い影響を及ぼしました。

このため、伯夷と叔斉の名は後世にも知られるようになり、儒教思想の源泉のような存在になっています。

また、立派な心がけを持つ義人は悲惨な末路をたどることが多いのですが、その先駆的な存在であったとも言えます。

孟子の批判

一方で思想を貫くという行いは、思考の幅を狭くすることでもあり、孟子は「伯夷は心が狭い」と述べています。

孟子は儒教を学んだ人物でしたが、王が暗君であれば、これを除いて賢君を王に据えた方がいいという、革命を肯定する思想を唱えていましたので、主従の関係は固く守るべきだと決めつけた伯夷や叔斉の考えは、視野が狭いと批判したのでしょう。

孟子の言うことには十分な理があり、現代の民主主義の政治体制下で生きる人にとっては、伯夷や叔斉のあり方は、時に愚かしく見えるかもしれません。

司馬遷の問いかけ

ともあれ、伯夷と叔斉の話は現代にも通じる、思想を貫くや否やという、人間の生き方についての難しい課題を投げかけており、司馬遷はそのあたりの普遍性を鑑みて、列伝のはじめに取り上げることにしたのだと思われます。

司馬遷はこの伯夷・叔斉の列伝の中で、盗跖(とうせき)という盗賊団の親分についても触れています。

盗跖は数千人もの罪もない人々を殺害した極悪人でしたが、天寿をまっとうして平穏な死を迎えています。

義人が悲惨な死を迎え、悪人が平穏な死を迎える。

その理不尽に対し、義を守るとはどういうことであろうかと、読む人に考えることを促しているように思えます。