稲葉一鉄(良通) 戦乱の世を頑固に生き抜いた一徹者の生涯

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姉川の戦いで戦功を称賛される

戦いが始まると、一鉄は千の兵を率いて徳川軍の後方に控えます。

そして織田軍が浅井軍と激しく戦っているさなかに、味方が押され気味になったことに気がつくと、助けるために横合いから攻撃をかけて浅井軍を打ち崩します。

この一鉄の働きの結果、戦況が覆され、織田・徳川連合軍は大勝利を収めることができました。

一鉄は信長から戦功を称賛され、「長の一字を与えるので長通ながみちと名のるがよい」と告げられます。

しかし一鉄はこれを喜ばず、出家をして「一鉄」の号を用いるようになりました。

名前の授与を断ったことで、信長が不快に感じることを察していましたので、一鉄はしばらくの間、自ら謹慎をして信長の怒りが解けるのを待っています。

このあたりの立ち回りから、一鉄の複雑な人格のありようをうかがうことができます。

一鉄は密かに斎藤氏の復興を願っており、このために征服者である信長に仕えはしても、服従しすぎないようにと一線を引いていたのだと思われます。

このあたりの事情は、後から判明していきます。

野田の戦いで指揮を任される

その後、信長は摂津せっつ(大阪)の野田で、敵対している三好三人衆や石山本願寺と戦いました。

この時に信長は一鉄に「野田の指揮を任せる」と自筆の書を与えています。

一鉄は新参者でしたので、古くから織田氏に仕える者たちは、「我らが征服した美濃の武将の采配に従わなくてはならないとは、悔しいことだ」と言って腹を立てました。

一鉄はそれにかまわず、陣の周囲に深く堀をうがたせ、柵を築かせて守りを固めます。

そして柵にむしろ(植物を編んだ敷物)を張らせ、陣中の様子が外からうかがえないようにさせました。

その上、篝火かがりびを焚くことも禁じ、十分に用心をするようにと諸将に注意を促します。

これに対し、諸将は「陣中で火を焚かずに用心もあるものか。敵は寄せ集めの三好衆や一向宗の坊主どもなのに、警戒をしすぎだろう」と一鉄を非難しました。

しかしこの時、北近江から浅井・朝倉軍が南下を始め、これに延暦寺も加わったことで、信長は背後から攻撃を受ける危険にさらされました。

このために信長は使者を送って野田から撤退し、京に向かうようにと命じます。

野田の軍勢は夜中に陣を引き払うことになるのですが、一鉄の処置によって敵に察知されることがなかったため、追撃を受けず、無傷で引き上げることができました。

この結果、一鉄は諸将から称賛を受けており、評価が一度にひっくり返ったのでした。

このようにして、一鉄は武勇と知謀に秀でているところを示し、織田家中での評価が高まっていきます。

鈴木孫一を降伏させる

紀州の鉄砲傭兵集団・雑賀さいか衆は石山本願寺に協力し、長きに渡って信長と戦い続けました。

しかし信長は本能寺の同盟相手を次々と攻め降し、孤立させて追い詰めていきます。

やがて本願寺が抗戦をあきらめて降伏すると、信長は使者を送って雑賀衆を率いる頭領・鈴木孫一まごいちを味方につけようとしました。

しかしこの使者はいつまでも戻って来ず、留め置かれているのか、それとも殺されてしまっているのかも定かではありませんでした。

このため、信長は一鉄に紀州に使いをするようにと命じます。

そして一鉄が孫一と話をするや、孫一はすぐに信長に臣従することを約束し、安土城で両者は面会をしました。

この時に信長は孫一に「初めに送った使者はどうなったのだ?」とたずねました。

すると孫一は「殺しました」とあっさりと答えます。

信長が「どうして殺した?」とたずねると、「かの使者は騎馬兵や歩兵を数十人も引き連れ、事前に通知もせず、いきなり我が城に押しかけてきました。そして城門を叩き、信長公の使者であるぞと言ってふんぞり返り、おごり高ぶっていました。このため、我らを謀殺しに来たのではないかと疑い、城中に入れると、門を閉ざして封じ込め、これを討ち果たしたのです」と孫一はぬけぬけと答えます。

当時の田舎の地侍たちは気位が高く、無礼を働かれたなら、このくらいのことは平然とやってのけるものでした。

「ならば、どうして一鉄は殺さなかったのだ?」と信長は問います。

すると孫一は「稲葉殿は事前に使者をよこし、慇懃に訪問の意図を伝えてから城にやって来ました。その服装は質素で、歩行の供を十人ばかり連れているだけで、先の使者とは違い、我らを殺そうとしているようには見えませんでした」と答えます。

そして「稲葉殿は城門の外で馬を下りると、3人ばかりの供を連れ、威儀を正しくして静かに歩み寄ってきました。この姿を見て感じ入り、拙者は自ら門を開けて稲葉殿を迎え入れました。そして城中に招いて口上を聞くと、こちらに敬意を示しつつ、情理を尽くして降伏すべき理由を語ってくれましたので、従う気になったのです」と語りました。

信長はこれを聞いて「なるほど」とうなずき、一鉄の使者としての力量に感嘆した、ということです。

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