韓信 劉邦に天下を取らせた国士無双の大将軍

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別働隊として西魏に遠征を行う

まず劉邦自身が主力として項羽と対戦し、その戦力を滎陽方面に引きつけておきます。

同時に韓信が別働隊を率いて遠征し、中国北部にある諸国を平定して劉邦の陣営に組み込んでいく、というものでした。

まずは滎陽から近い西魏という国を討つことになり、韓信は張耳(ちょうじ)と曹参という武将を副将として討伐に出発します。

ここで韓信は西魏を降すにあたり、川を利用した奇策を用います。

まず川を挟んで敵と対峙し、その主力を引きつけておきます。

その一方で別働隊を派遣し、敵の目の届かない地点で渡河させ、敵の本拠地を急襲してこれを奪ってしまいました。

本拠を失った敵軍は慌てて退却し、それを追撃した韓信はあっさりと西魏を征服します。

この時に韓信は「木おう」という木製の桶を使っていかだを作らせ、船を用意することなく軍を渡河させています。

別働隊のために船を用意すれば敵に察知されたでしょうが、木おうを用いていかだを作って川を渡る、という奇策によって敵の意表をつき、鮮やかに勝利をおさめることができたのです。

韓信はもともと川沿いの街の出身だったこともあってか、川を活用した作戦の立案を得意としていました。

背水の陣で趙を破る

次の標的となったのは、西魏の東に隣接する趙という国でした。

この趙は20万を号する大軍を有しており、韓信軍は数で劣っていました。

韓信はこれに対し、水を背にして陣をしく、いわゆる「背水の陣」で対峙します。

当時の著名な兵法書には「水を背にして陣をしいてはいけない」と記されており、韓信はあえてその逆を行ったことになります。

趙軍を率いるのは陳余という将軍でしたが、韓信のこの常識破りの布陣を見て、韓信は兵法の基本も知らないのかと思い、侮ります。

韓信はさらに敵を油断させるために、陣から軍勢を繰り出してわざと負けさせ、そのうえ軍需物資を戦場に放棄する、という作戦を取ります。

これによって趙軍はすっかり油断し、軍需物資を回収するために、城にいた部隊も戦場におびき寄せられました。

そして川を背後に陣を構える韓信軍に攻撃を開始します。

逃げ道がないことから、小数でも韓信軍はこの攻撃によく持ちこたえます。

そうして耐えているうちに別働隊が趙軍の本拠地を襲撃し、これを占拠しました。

別働隊はそのまま趙軍の背後から攻撃を開始し、韓信の率いる本隊も陣を出て挟撃します。

こうして本拠を失ったうえに挟み撃ちにされた趙軍は士気を失い、あえなく壊滅しました。

陳余と趙王を捕らえてこれを斬り、韓信はまたしても完勝をおさめ、趙を支配下に置きました。

燕を降し、劉邦に軍勢を奪われる

趙を占拠した韓信は、趙の将軍であった李左車(りさしゃ)に助言を請います。

そして「趙の北東にある燕は、使者を送って降伏を促せばそれを受け入れるでしょう」と言われます。

実行してみたところ、李左車の言うとおりに燕は降伏し、軍を送るまでもなく韓信は燕を劉邦陣営に組み込むことができました。

この頃にはあっというまに二国を降した韓信の強さが周囲に鳴り響いており、これには抗しがたいという空気が生まれていたのでしょう。

こうして中国北部を平定した韓信は、軍の編成と訓練のため、修武という土地に駐屯します。

しかしある日、不意に成皋(せいこう)で籠城していたはずの劉邦がこの修武に姿を現し、韓信から軍を奪ってしまいます。

劉邦は項羽軍の攻撃を受けて激しく疲弊しており、軍勢不足に陥っていました。

これを解決するため、韓信の率いていた軍をまるごと奪うという行動に出たのです。

そして劉邦は軍の一部を韓信に与え(もともと韓信の編成した軍なのですが)、残る斉の国を攻めるようにと命じます。

韓信はこれに逆らわず、言われるがままに減少した軍を率いて斉に向かいます。

もともと韓信は身一つで劉邦に仕えた身分ですので、軍勢を取り上げられても文句は言えません。

しかしながら、これまでも韓信は機を見て劉邦に援軍を派兵しており、にも関わらず行われた劉邦の乱暴な措置に対し、思うところもあったようです。

【次のページに続く▼】

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