木下藤吉郎が豊臣秀吉を名のるまで

金ヶ崎で殿を務める

ここまでは順調に来ていましたが、しかし秀吉は1570年に行われた、越前(福井県)の朝倉氏の討伐戦において、重大な危機を迎えることになります。

朝倉氏の領地に攻め込んだ直後、後背に位置する北近江の大名・浅井長政が信長を裏切り、背後から襲撃してくるという情報が入ったのです。

これによって信長の軍勢は撤退せざるを得なくなり、信長は少数の護衛とともに戦場から逃走します。

朝倉・浅井軍からの追撃が予想されるため、これに対して殿(しんがり)を務めて防戦をする人間が必要になりました。

この時に秀吉は殿に任じられ、明智光秀と共に友軍が撤退するまでの時間を稼ぐことになります。

そして苦戦を強いられながらも朝倉軍の攻撃をしのぎきり、無事に京都に戻っていた信長の元に帰還することができました。

信長はこの秀吉の働きを褒めたたえ、黄金数十枚という褒美を与えています。

こうして秀吉は織田軍の危機を救い、信長からの信頼は更に厚くなっていきます。

大名となり、羽柴秀吉を名のる

信長は裏切った浅井氏を攻撃し、1573年にこれを滅ぼしました。

そして浅井氏の旧領のうち三郡が秀吉に与えられ、長浜城の城主となります。

(「郡」は現在の市程度の広さの領域を指します)

これにより数万石の領地を持つ、いわゆる大名と呼ばれる身分に登っています。

そうなると、これまで小者の頃から使用していた木下姓では格が足りないと言われ、秀吉は自分で新しい姓を考えることになります。

そして秀吉が自ら希望したのが「羽柴」という姓でした。

これは信長の重臣である丹「羽」長秀と「柴」田勝家の両名から、それぞれ一字ずつを拝借して作った姓です。

自分の出世に対し、古くから信長に仕えている武将たちから妬まれぬようにと、そう気遣って作ったものなのでしょう。

この長浜城の城主時代に、地元から石田三成などの人材を得ています。

その後も長篠の戦いに従軍するなどして、信長配下の軍団長として活動を続けます。

そして1577年からは、強敵との戦いの司令官に任じられます。

毛利氏との戦い

秀吉は信長から、中国地方を制覇していた毛利氏の攻略を命じられます。

毛利氏は数万の兵を動員できる大勢力で、この攻略の担当者となったのは、秀吉にとって大変に名誉なことでした。

秀吉はまず播磨(兵庫県西部)の調略に取りかかり、現地の豪族・小寺氏の家老であった黒田官兵衛と出会っています。

秀吉の協力者となった黒田官兵衛から姫路城を譲り受けてそこを拠点とし、山陰・山陽の各地域を攻略していきます。

そして但馬・因幡・備前といった国々を手中に収め、1582年には備中(岡山県西部)にまで兵を進めます。

そして毛利方の備中高松城を包囲し、水攻めによって城主の清水宗治を追い詰めます。

これは城の周囲に水が流れ込むよう、川の上流で工事を行い、人口の湖に城を沈めてしまうという奇策でした。

こうして高松城は落城寸前となりますが、毛利軍は当主の輝元の他、小早川隆景や吉川元春といった重臣たちが4万の大軍を率いて援軍にやってきており、3万の軍を率いる秀吉にとっては、油断のならない状況でした。

この情勢の報告を受け、信長は自ら大軍を率いて中国地方に出陣することを決意します。

そしてその時手が空いていた明智光秀にも動員令を出し、彼もまた中国地方に向かうことになります。

【次のページに続く▼】

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