木下藤吉郎が豊臣秀吉を名のるまで

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賤ヶ岳の戦い

秀吉と敵対したのは、柴田勝家の他、信長の三男・織田信孝や滝川一益といった面々でした。

柴田勝家は北陸に領地を持っており、冬の間は雪に阻まれて進軍が難しい、という状況にありました。

秀吉はこの敵の弱点を利用し、冬の間に美濃の織田信孝と、伊勢の滝川一益を攻撃します。

織田信孝の城はすぐに攻め落とせたものの、戦上手である滝川一益の軍には苦戦し、戦況が膠着します。

これを受け、柴田勝家はまだ冬であったにも関わらず進軍を開始し、3万の大軍を率いて近江北部に着陣しました。

これを受けて秀吉も、軍勢を美濃や伊勢から近江に向かわせ、両者は主力決戦を行うことになります。

柴田勝家の重臣・佐久間盛政が、秀吉が着陣する前に先制攻撃をしかけるべきだと主張し、独断でこれを実行します。

そして秀吉についていた中川清秀を討ち取るなどして戦況を有利にしますが、急遽美濃から駆けつけた秀吉軍の攻撃を受け、慌てて撤退することになります。

これに追撃を加えた秀吉と、迎え撃った柴田勝家の間で戦いが始まりました。

この「賤ヶ岳の戦い」は、始めは互角に戦況が展開していましたが、柴田勝家の後備に控えていた前田利家が、突然撤退を始めます。

その結果、戦況が不利なのかと他の柴田方の諸将たちが誤認し、雪崩を打って撤退してしまいます。

この結果、柴田軍は総崩れとなり、秀吉が勝利をおさめる事になりました。

秀吉は戦後に前田利家を配下に加え、加賀と能登の国を与えています。

事前に寝返りを約束していたのかは定かではありません。

こうして強敵を打倒した秀吉は、織田家筆頭の立場を獲得しました。

徳川家康と織田信雄との戦い

こうした秀吉の動きに反発したのが、信長の次男の織田信雄です。

彼は初め、秀吉から三法師の後見人に推薦されるなどしており、それによって秀吉の味方をしていましたが、やがて秀吉に利用されているだけだと気が付きました。

そして1584年に、秀吉から年賀の挨拶に来るようにと呼びつけられたことに反発し、対立するようになります。

そして徳川家康と連絡をして同盟を結び、秀吉に宣戦を布告しました。

これに対し、秀吉は10万という大軍を織田信雄の領地である尾張・小牧方面に向かわせます。

しかしこの軍は長久手の局地戦で徳川家康に敗れるなどして苦戦し、戦況が膠着します。

秀吉はこれを受け、織田信雄の領地に攻撃を加えて各地を奪い取り、その経済力を弱めるなどして締め付けを図ります。

また、徳川家康の領地はこの時期に災害に見舞われ、こちらも戦費の調達が難しくなっていきます。

こうした情勢の変化により、大規模な合戦は行われないままに、織田信雄・徳川家康の連合軍は秀吉と和睦することになります。

徳川家康は戦後に次男の於義丸を秀吉に人質として差し出しており、秀吉の優勢勝ち、といった結果に終わっています。

そして豊臣秀吉へ

この後も秀吉は、敵対勢力であった紀州の豪族連合を攻めてこれを滅ぼし、長宗我部元親が支配する四国も制します。

そして畿内の付近から敵をすべて駆逐し、天下人にふさわしい実力を備えます。

1585年には、朝廷で起きていた関白をめぐる公家同士の争いに介入し、これを利用して自身が関白の地位につくことに成功します。

関白は天皇の代理として政務を見るという地位ですので、これを得たことで、秀吉は天下人としての名分を得ることになりました。

そして翌1586年には、朝廷から豊臣の姓を賜り、最高位の官職である太政大臣にも就任します。

これにより、秀吉の政権が樹立され、天下に号令する権限を得たことになります。

こうして世に知られる「豊臣秀吉」が誕生し、彼の出世と名前の変遷も終わりました。

出世魚のごとく

こうして見てきた通り、秀吉は出世するたびに何度も名前を変え、ついには天下人にまでなってしまいました。

さながら出世魚と呼ばれる、成長するごとに呼び名が変わる魚のようなありさまです。

戦国時代には、秀吉のように低い身分から大名にまで出世した人物は他にもいますが、さすがに天下人になったのは秀吉ひとりです。

織田信長は生まれながらに大名と呼べる程度の領地をもっていましたし、徳川家康にしても同様です。

そうした基盤を持たない秀吉が天下人になれたのは、信長によって引き立てられたことが大きかったでしょう。

信長の後をついていくことで、その勢力の拡大に伴い、身分を上昇させていくことができました。

その信長の勢力の拡大に、秀吉は力を尽くして大いに貢献しており、この時代の主従としては、この二人は理想的な関係にあったのではないかと思います。

さすがに信長も、秀吉が将来関白となり、朝廷から豊臣の姓を賜るほどまでに出世するとは予想していなかったでしょうが。

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