桶狭間の戦い 織田信長が5倍の兵力差を覆して今川義元に勝利できたワケ

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偽兵を用いる

この時に信長は、ただ祈願のために熱田に立ち寄ったわけではなく、住民たちに命じ、丘の上など目立つ場所に、白い布で作った旗指しものをたくさん立てさせました。

それによって、今川軍に、信長は熱田方面に軍勢を展開しており、最前線には向かっていない、と思わせようとしたのです。

この狙いが的中し、報告を受けた義元の油断を誘うことに成功しています。

信長は率いる兵が少ない時期には、こうした偽兵の策略をよく用いており、この時にも同様の行動を取ったのでした。

兵士たちを励ます

信長が熱田を出発すると、やがて丸根・鷲津砦が攻め落とされ、佐久間盛重や飯尾定宗らが戦死したことを知らされます。

すると信長は「かの者たちは、我よりもひととき先に死んだぞ!」と言い、銀の大数珠を肩から筋違いにかけました。

そして周囲の将兵たちに向かい、「おのおの、その一命を予に預けよ!」と呼ばわると、士気が多いに高まった、ということです。

信長自身は神道も仏教もさほど信仰していませんでしたが、将兵たちの中には信仰している者が多いので、熱田神宮に参拝したり、大数珠を用いるなどのふるまいをして、士気の高揚に利用したのでした。

桶狭間の戦い2

桶狭間へ

信長は道々、各地の城や砦の兵を集合させ、3千の軍を率いて善照寺方面へと進軍しました。

善照寺は鳴海城を監視するための砦でしたが、信長はひとまず前線に移動し、そこから敵状を詳しく探ろうとしたのでしょう。

また、既に丸根や鷲津が落ちた以上、そちらに向かうしか選択肢はありませんでした。

こうした信長の接近を知ると、佐々政次や千秋季忠らの率いる織田軍300名ほどが最前線に突出し、両武将が今川軍に討ち取られる、という事態が発生しました。

これを知った信長は大変に憤慨し、自ら中島方面に移動して、敵軍に突撃をかけようとします。

しかし中島方面は道が悪く、大勢では進軍しにくいことを理由に老臣たちが反対し、しばし議論となります。

そうこうしている内に、諜者を放って今川軍の動向を探っていた梁田やなだ政綱まさつなという武将から、「義元が沓掛城を出て、桶狭間方面に向かっている」という情報が寄せられます。

それに続いて、義元は「桶狭間の北方、田楽狭間で休息を取っている」という情報も寄せられました。

信長にとっては、戦況を逆転しうる絶好の機会が訪れたことになります。

義元の位置がわかったのであれば、そこに突撃あるのみだとして、信長は進軍を決意します。

これは信長が勝利した、という結果を知っている我々からすると当然の選択だと思えますが、実態は2万以上の敵兵がひしめく中に、2千の兵で切り込むという決断であり、一つ間違えば全滅しかねない、危険な賭けでもありました。

ですので、この決断を下した信長の勇気は、十分に称賛されるべきでしょう。

信長は善照寺に兵を残し、多くの旗を立てさせ、大勢がそこに籠もっているかのように見せかけ、敵の目を引きつけさせました。

これは熱田での措置と同じで、信長は自らが率いる本隊の位置が、敵に悟られないようにと気を配っていたことがわかります。

このあたりの配慮が、信長に勝利を引き寄せたのだと言えるでしょう。

それとは逆に、義元は本隊の位置の情報をあっさりと信長につかまれたことが、敗因となっています。

しかし、もしも情報が届くよりも先に信長が進軍し、今川軍に発見されていたら、信長の攻撃は成功しなかったでしょう。

このあたりは、紙一重で幸運が信長にほほ笑んだのだと言えます。

信長は自ら2千の兵を率い、迂回路を取って田楽狭間に向かいました。

桶狭間の戦い3

信長の作戦

この時に信長は将兵たちに対して、以下のような訓示をしています。

「敵は夜明け前に食事をし、早朝から活動を開始し、鷲津や丸根の砦で激しく戦い、疲労困憊している。それに対し、こちらはまだ戦っていないから疲労しておらず、この点が有利である」と指摘します。

そして「こちらが小軍であるからといって、大軍を怖れるな。運は天にあり」と言って励まします。

「敵に攻撃をしかけ、いったんは引け。そして敵を引きつけ、これを打ち倒し、追い打ちをかけて切り崩せ」と、次に具体的な作戦案を示しました。

攻撃してから引いて、敵を走らせることによって、疲労をさらに募らせ、そこに痛撃を加えれば、敵陣は崩壊するだろう、というのが信長の予測でした。

そうして敵の前線を崩せば、それが波及してより戦況が有利になる、と計算していたのだと思われます。

このあたりの話から、信長は絶好の機会を前にして焦らず、敵の状態を想像して、冷静に作戦を練っていたことがわかります。

さらに「略奪や敵の首を取ることは禁止する。戦に勝てば、この戦場で活躍した者は、末代までその高名を知られることになるだろう。ただ励むべし」と言って、戦場での心得を告げ終えました。

もしも勝利できれば、数倍の戦力差を逆転した大勝利になり、受ける栄誉や称賛も莫大なものになりますので、わずかな戦利品や葉武者の首にこだわらず、勝つことのみを目標とせよ、と戒めたのです。

事実、義元を討ち取った者の名前は、現代にも伝わるほどに高名になっています。

この一連の発言を見るに、信長は襲撃を成功させるために必要な手を、あますところなく打っていたことがわかります。

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