自害
勝家は最後まで残った家臣たちに、ここで死なずに生き延びるようにと伝えました。
そしてもはや現世において家臣たちの貢献に報いるすべがないと、そのことを嘆きます。
しかし残った家臣たちの中で逃げようとする者はおらず、みなその場にとどまっています。
また、勝家は結婚して半年ばかりのお市の方に、城から脱出して生き延びるようにと勧めますが、拒絶されます。
お市の方は以前に浅井長政に嫁いでいましたが、その時にも居城を攻め落とされて落ち延びた経験があり、これを繰り返すことを嫌ったようです。
その意志を受け入れ、勝家はお市の方や侍女たちを一突きにし、自らも腹を十文字に割いて自害しました。
この時に城外に向かって、「我が腹の切りざまを見て後学にするがよい」と告げています。
最後まで残った80名の家臣たちもまた自害して果て、柴田家は滅亡しました。
勇猛で情に厚い人だった
こうした最期から見るに、勝家は勇猛なだけでなく、情に厚く、家臣に慕われる人柄だったようです。
結婚して半年でお市の方が最期を共にすることを選んだのも、そうした人柄と無縁のことではないでしょう。
前田利家の無断撤退によって敗北し、滅亡を迎えましたが、この時に勝家は利家を恨むそぶりを見せず、預かっていた人質を無事に送り返しています。
腹いせに処刑してもおかしくない状況でしたが、こうした行いに勝家の人柄が表現されています。
そういった魅力を持つ人物でしたが、一方で軍事のみにその能力は偏っており、外交や調略は不得意で、それが秀吉に敗れる原因となりました。
自立して勢力を築くのに向いた人ではなく、信長のような機略に優れた大名の元で、軍事に専念して力を発揮するのが、ふさわしい立ち位置の人だったと言えます。
身近な人に慕われる純粋な武人だった、とするのが勝家に適した評価だと思われます。


