蕭何 内政や統治に優れ、劉邦を支えた名臣の生涯について

韓信に出会う

劉邦が漢中に追いやられて間もなく、項羽に仕えたものの取り立ててもらえなかった韓信という男がやって来ました。

彼は一兵卒の身分でしたが、自分には数十万の大軍を指揮して勝利に導ける才能がある、と自負している変わり者でした。

韓信は漢中にやって来てから夏侯嬰(かこうえい)という劉邦の側近と知り合います。

そして夏侯嬰は面白い男がいる、と蕭何に紹介しています。

蕭何もまた韓信と接するうちに、本物の偉大な将軍としての才能が韓信に宿っていることを感じ取りました。

蕭何はひとまず韓信を治粟都尉(ちぞくとい)という食料の管理係に任じ、軍隊における兵糧管理の重要性を学ばせようとします。

しかし将軍になって軍の指揮をしたいと願っていた韓信はこの扱いに不満を感じ、やがて漢中からも逃亡してしまいます。

韓信を追いかけ、大将軍に推薦する

この頃には辺境に押し込められてしまった劉邦の将来に絶望し、逃亡する武将たちが絶えない状況でした。

蕭何はそういった雑多な武将たちがいなくなったところでたいした問題ではないと考えており、特に行動は起こしていませんでした。

しかし韓信が逃亡したと聞くと、すぐに自ら出立して韓信を追いかけています。

(この時に劉邦は、ついに蕭何までもが自分を見放したのか、と誤解して狼狽した、という逸話があります。)

蕭何は韓信に追いつくと、劉邦に強く推薦することを約束し、もしも劉邦が受け入れない場合には私も漢を捨てる、とまで言って韓信を引き止めます。

そして漢に戻ると劉邦と面会し、韓信を大将軍(総司令官)に任命するようにと強く推薦しました。

蕭何はこの時に、「韓信は国士無双です」と劉邦に伝えています。

国士無双とは、並ぶ者がいないほどに優れた人物だ、という意味です。

劉邦が韓信を大将軍に任命する

劉邦はこの時点では韓信について詳しく知らず、本当にそれだけの能力があるのか、判断がつかなかったでしょう。

しかし最も信頼する蕭何がそこまで強く推薦するのであれば、受け入れたほうがよいのだろうと判断し、一兵卒でしかない韓信を大将軍に据えるという、破格の抜擢を行います。

このあたり、推薦した蕭何もそれを受け入れた劉邦も、ともにただ者ではなかったと言えます。

そして、こうして大将軍になった韓信もまた、中国史に深く名を刻むほどの、すさまじい活躍を見せることになります。

劉邦が関中を制し、蕭何が統治を行う

大将軍となった韓信は、項羽に任命された3人の王が支配する関中への侵攻を計画します。

そして短期間の戦闘で3人の王を討ち破り、劉邦に関中の地をもたらしました。

関中は秦が天下を支配するための根拠とした土地で、ここを制したことが劉邦の戦いを有利なものにしていきます。

そして関中の統治の実務を担い、劉邦に安定して兵員と物資を供給し続けたのが蕭何でした。

蕭何は住民たちに不満を抱かせぬよう、巧みに統治を行いつつ、兵員や物資の供出を継続的に実施し続けており、その手腕が並々ならぬものであったことがうかがえます。

劉邦は項羽との難戦を続ける

劉邦は戦いにはさほど強くないものの、常に前線に立ち続ける勇敢さを備えた将でした。

最強の部将である項羽と戦い、何度も敗れていますが、それでも屈せずに戦いを継続したことで、項羽陣営に消耗を強い、少しずつ情勢を有利なものにすることができました。

そして韓信は劉邦が項羽を引きつける間に、魏・趙・燕・斉といった大陸北方の国々を数年で制覇し、全体の戦況を有利なものに変えていきます。

こうした戦略の基盤を支えていたのが蕭何でしたが、戦いが続く内、劉邦陣営にもいくらかのきしみが発生するようになります。

【次のページに続く▼】

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楚漢戦争 中国史
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