程昱(程立) 優れた智謀を備え、曹操の危機を救った軍師の生涯

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程昱と改名する

ところで、程昱は元の姓名を「程立」と言いましたが、この頃に程昱と改名しています。

程昱は、若い頃、泰山に登って両手で太陽を捧げる夢を頻繁に見ており、これを不思議に思っていました。

そしてある時、荀彧にそれを話します。

程昱が三城を守り通す功績を立てると、荀彧はこの夢の話を曹操に伝えました。

すると曹操は、その太陽は自分のことなのだろうと解釈し、程昱に対し「どうやら君は、生涯に渡ってわしの腹心になってくれる人のようだ」と述べます。

この時、曹操は夢の話にちなんで、日の字を名前に加えるようにと告げ、程昱と改名させました。

こうして程立あらため程昱は、名実ともに曹操の腹心になったのです。

袁紹が曹操に人質を求める

兗州に戻った曹操は、呂布と戦い始めますが、初めのうちは苦戦し、何度か敗れてしまいました。

その上、兗州ではイナゴの虫害が発生し、食糧の確保が難しくなります。

これが原因で呂布との戦いは一時休戦となりますが、次から次へと苦難が振りかかったことで、さしもの曹操も弱気になっていました。

すると袁紹が、この機に曹操を従えようと思い、家族を自分の本拠であるぎょうに住まわせるようにと求めてきます。

曹操は兗州の大半を失い、呂布に敗れ、食糧も尽き果てていましたので、支援を受けるためにこれを受け入れようとしました。

程昱が反対する

この時、程昱は使者として出かけていたのですが、ちょうど帰ってきた際にこの話を聞き、曹操にたずねました。

「聞いたところによりますと、将軍は家族を鄴に行かせて袁紹と手を握るおつもりだとか。これは本当なのですか?」

曹操は「その通りだ」と答えます。

すると程昱は「将軍はどうやら、苦難を前にして気後れされているようですな。

よくお考えください。

袁紹は北方を支配し、天下を手中に収めようと画策していますが、それに足る知力は備えていません。

将軍はそんな彼の風下に立つことが、本当にできますでしょうか。

将軍は龍や虎のごとき勢威を持っているですから、韓信や彭越ほうえつ(劉邦に仕えた武将)のまねをなさることはありません。

今、兗州の大部分を敵に奪われたと言っても、まだ三城が残っており、兵士は一万人をくだりません。

将軍には神のごとき勇武が備わっている上に、文若ぶんじゃく(荀彧)や私などを従えているのですから、王者の事業を、きっと成し遂げることができます。

願わくば、もう一度お考え直しください」

このように程昱に励まされると、曹操は気力を取り戻し、袁紹のところに家族を送るのは取りやめました。

こうして程昱は、城に続いて曹操の心を守ったのでした。

地位が高まる

立ち直った曹操は、呂布を徐州に追い出して兗州を奪還し、勢力をすっかりと取り戻します。

すると、董卓に連れ去られていた献帝が関東に戻ってきたので、これを迎えてきょに新たな都を築きました。

この時、董卓が擁立した献帝を迎えるべきかどうかで議論が起きましたが、程昱と荀彧が強く勧めたので、曹操は献帝を受け入れたのでした。

その影響で、程昱は尚書しょうしょ(政務官)に任命され、朝廷に参画するようになります。

そして、兗州の情勢が不安定だったため、東中郎将という、近衛兵を率いる武官の地位と、済陰せいいん太守、そして兗州の都督にも任命されます。

これらの官職を合わせることで、兗州の治安維持を任されたのだと言えます。

こうして程昱は曹操の信任を受け、着実に地位を高めていきました。

劉備が曹操の元に逃れる

この頃、徐州では劉備が陶謙とうけんから刺史(長官)の地位を引きつぎ、統治を行っていました。

一方で、呂布は曹操に兗州を追われた後、徐州に逃れていましたが、劉備にかけ合って滞在を認めてもらっています。

しかし、劉備が侵攻してきた袁術を迎撃するために本拠を離れると呂布は裏切り、徐州の主要部を占拠しました。

このあたりの流れは、曹操の時とよく似ています。

このため、劉備はやむなく呂布の傘下に入って危機をしのぎましたが、やがて呂布に攻撃され、曹操の元に逃れました。

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