渋沢栄一の生涯 短縮版

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政府に召喚される

こうして栄一は新たな道を見出したのですが、パリでの留学中の資金の処理について、政府から出頭して対応することを求められたので、これに応じて東京に向かいます。

先に幕府の負債を栄一が処理していましたが、これを新政府が肩代わりすることになったので、先に払っていたお金をフランスから返金してもらい、パリでの家財を処分した分は昭武のところに送るなど、的確に処理をすませました。

するとこれがきっかけになり、栄一の存在は政府に知られることとなります。

ある日突然、栄一は政府から召喚を受け、いきなり大蔵省の租税正という地位に任命されてしまいました。

栄一は静岡に骨をうずめるつもりだったので断ろうとしますが、静岡藩からは、断ると静岡藩に対する新政府の心象が悪化してしまうので、引き受けるようにと促されます。

徳川家は降伏した立場でしたので、新政府からにらまれるのは避けたいところだったのでした。

このためにやむなく東京に向かいますが、栄一は大蔵省に知り合いがおらず、何をしていいかもわからなかったので、すぐに辞任を申し入れることにしました。

この時、大蔵省を仕切っていたのは大隈重信だったので、彼の屋敷を訪ねて談判します。

すると大隈は、栄一に限らず、みなが経験も知識も足りない中で、新しい国家の基盤を作ろうとがんばっているのだから、君もその中に加わってほしい、といったことを述べます。

かつて栄一は国政を担う存在になりたいと志を立てたこともありましたので、この言葉に動かされ、大蔵省の役人として働くことを決意しました。

改正掛の担当者となる

栄一は大蔵省の中の様子を見て、みなが日々の業務に追われるばかりで、新しい国家に必要な制度作りに取りかかれる体制になっていないことを指摘し、これを改善するように大隈に申し入れました。

すると大隈もこれに同意し、改正かかりという部署を設け、栄一にその仕切りを任せます。

この改正掛には、各部署からの人員を兼任させ、寄り合い所帯のようになりました。

また、栄一は制度作りを行おうにも、省内に優れた人材が不足していると指摘し、元は幕臣だった者たちの中から、優れた才覚を持った者たちを推薦しました。

その中には、後に日本の郵便制度を創設した前島ひそかも含まれています。

簿記を導入し、重要な案件に関与する

以後は役所の中の働きなので、栄一ひとりの力で何かを成すということは少なくなっていきますが、主だった実績のひとつに、簿記と伝票の導入があります。

栄一は大蔵省において、出納が発生した際には、それを簿記に記入し、必ず伝票処理をすることを規則として定めました。

これはもともとフランスで行われていた仕組みだったので、留学中にその知識を得ていたのかもしれません。

この制度は今でも日本中で使われていますが、初めてこれを導入したのが栄一だったのです。

それ以外には、廃藩置県における藩札の処理があります。

江戸時代は各地の藩がそれぞれに藩札を出していましたが、常に金貨や銀貨と安定して交換できるものではなかったので、価値は低いものでした。

しかし廃藩置県によって藩がなくなるからには、これを確実に、民衆が納得いくように換金処理をしないと、各地で騒動が起きかねません。

このため、栄一ら大蔵省の役人たちは、額面に対する政府の買取額を定め、一定以上昔のものは廃棄すると制度を定め、金銭面において、問題なく廃藩置県が行われるようにと措置をとりました。

また、国立銀行を創設するための制度作りや、紙幣制度、度量衡の制定など、重要な案件をいくつも担当し、地位は勅任官・大蔵大丞だいじょう(次官相当)にまで登りました。

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