橋本左内 将来を嘱望されながらも、安政の大獄で散った志士の生涯

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将軍継嗣問題や条約問題に携わる

この時に、幕府では13代将軍・徳川家定の後継者問題が持ち上がっていました。

家定は生まれつき病弱で、国難にみまわれた幕府の舵取りができる人物ではなく、子を成すのも難しかったため、御三家など、他の徳川氏から養子を取ることになりました。

この時に候補になったのが、紀州藩の徳川慶福(よしとみ)と、御三卿の一橋慶喜(よしのぶ)です。

左内も参加した各藩有志の協議により、英明で知られる一橋慶喜こそが次の将軍にふさわしいと結論が出され、これを実現すべく、左内たちは働きかけを開始します。

また、諸外国と通商条約を結ぶにあたり、公共の議論を尽くすべきで、幕府の独断によって決定されるべきではない、という主張もこの運動には含まれていました。

この方針には薩摩藩主の島津斉彬も賛同しており、彼もまた懐刀である西郷隆盛に、工作の実務を任せています。

こうして左内と西郷は、一橋慶喜を擁立するために、ともに幕府や朝廷への働きかけを行いました。

左内の思想と、世界情勢への見通し

この頃に左内は、自身の思想や、世界情勢への見通しを書簡にして友人に送っています。

その内容は、以下のようなものでした。

世界はやがて五大陸がひとつに手を結んで同盟国としてまとまり、盟主を選んで世界各地の戦乱を収束させるようになるだろう。
(つまり、国際連合の誕生をすでに予期していたことになります)

その盟主となるのは、世界の二強であるイギリスかロシア帝国のどちらかだろう。

日本の現在の実力では独立自存は不可能であり、独立するには蒙古や満州、朝鮮を合併し、アメリカ大陸か、もしくはインドに領地を得る必要があるが、それらの地域はすでに西洋諸国が侵入しており、実現が困難である。

ゆえに、二強の一角であるロシアと同盟を結び、日本を強国にするための改革を進めなけらばならない。
もう一角はイギリスだが、こちらはすばやく、荒々しく貪欲であり、ロシアは重厚な落ち着きがあり、厳正なので、ロシアとの同盟が望ましい。

ロシアは国境を接して隣り合っている国であり、唇と歯のように利害関係が密接なため、同盟を結んで従えば、ロシアは日本のことをありがたい国だと思うようになるだろう。

いずれイギリスは、敵対するロシアを攻撃するために、日本に先陣の役を頼んでくるだろうが、この問題への対応を考えておかなければならない。
(日露戦争の際に、まさにこの予測の通りの情勢となります)

ロシアと同盟を結べば、イギリスは日本と敵対し、戦いを挑んでくるだろう。

これを遅らせるため、アメリカにイギリスを牽制するための援助を要請するべきである。

そして戦争が起きる前に、ロシアやアメリカから優秀な人材を雇用し、産業・軍事の改革に着手しなければならない。

仮にイギリスとの戦いに敗れても、ロシアが後ろ盾になっていれば、壊滅するまでには至らず、弱い日本を強国に変えるきっかけとなるだろう。

改革の実行のため、将軍のお世継ぎを速やかに定め、諸侯の中の有能な人材を宰相に据え、武士・民間人で差別することなく、達識な人物を参加させる政体を築くべきである。

諸侯に対する嫌疑は捨て去り、日本国中を一家と考え、全国力を結集しなければならない。

というのが、左内がこの時点で立てていた日本変革の構想でした。

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