黄祖の危機を救い、凌操を討つ
それから三年が過ぎましたが、黄祖は甘寧を用いることはありませんでした。
理由は不明ですが、黄祖にも甘寧は好かれなかったのです。
甘寧は元の立場もありますが、粗暴な性格でしたので、人に気に入られにくい要素を持っていたのは確かでした。
やがて孫権が黄祖を討伐するべく攻めこんでくると、黄祖は敗れて戦場から逃げ出します。
この時、甘寧は弓矢を扱うのが巧みだからという理由で、殿を務めました。
すると呉の校尉(中隊長)の凌操が追撃をしてきたので、甘寧は彼を射殺し、黄祖の危機を救っています。
しかし黄祖は恩知らずな人間だったようで、それまでと変わらず、甘寧を用いることはありませんでした。
蘇飛によって救われる
この状況を見かねたのか、黄祖の配下である蘇飛が、甘寧を重く用いるように進言をします。
しかし黄祖はそれに耳を貸さないどころか、甘寧の食客たちを勧誘し、引き抜きを始めました。
黄祖は、甘寧のことをよほどに嫌っていたようです。
こうして食客がだんだんと減っていくと、甘寧は黄祖の元を立ち去りたいと考えますが、脱出のめどがたたなかったため、悶々として日々を過ごしました。
それを知った蘇飛は酒宴を開き、甘寧を招きます。
そしてその席上で、次のように言いました。
「私はたびたびあなたを推挙しましたが、主君は私の意見を採用しようとしませんでした。
月日はどんどん過ぎ去っていきますが、人生はそれほど長いものではありません。
これ以上ここにとどまるよりも、大きな志をかなえられる場所と、おのれを知ってくれる主君を求めるのがよろしいでしょう」
甘寧はこれを聞くと、しばらく考え込んでから返事をしました。
「志はありますが、どうすればよいかがわかりません」
すると蘇飛は「私があなたを邾県の長に推挙してさしあげましょう。
そうなれば、どこに行くのも、板の上で珠を転がすがごとく、容易になります」と申し出てくれました。
甘寧は「そうしていただければ、幸いがこれに過ぎることはありません」と答えます。
すると蘇飛は、約束通り黄祖に口添えをしてくれ、甘寧は邾県の長になることができました。
甘寧は自分の元から離れていた食客たちを呼び戻し、新しく部下になりたいと申し出てきた者を受け入れ、数百人の徒党を組んで、邾県に向かいます。
このあたりの様子を見るに、甘寧は徹底して親分肌の人間だったようです。
呉におもむき、孫権に仕える
甘寧は邾県につくと、そこから呉に向かって出発しました。
そして到着すると、周瑜や呂蒙といった呉の重臣たちに推薦を受け、孫権に仕えることができました。
孫権は甘寧に特別な待遇を与え、長年彼に仕えて来た者たちと同等に扱ってくれます。
こうして甘寧は、苦難の末にようやく仕えるべき主君に巡り会えたのでした。
孫権に荊州を奪うよう進言をする
孫権に仕えると、甘寧はさっそく次のように進言をしました。
「漢王朝の命運は日々衰え、曹操はますます思うようにふるまうようになり、いずれは帝位を簒奪するでしょう。
荊州の地は、ほどよく山や丘があり、大小の河川が流れて交通の便がよく、呉が西方に勢力を伸ばすにあたり、拠点となるべき地域です。
私は劉表の様子をつぶさに見てきましたが、彼には先への見通しがない上に、息子たちもたいした能力は持っていません。
陛下は急いで荊州を攻略するはかりごとを立て、曹操に遅れをとらないようになさってください。
荊州攻略のためには、まずは黄祖を打ち破るべきでしょう。
彼は年をとってもうろくし、側近の甘言に乗せられて金儲けに励み、役人や兵士たちから搾取しています。
このため、彼の配下の者たちはみな不満を抱え、船や兵器は壊れたまま修理されず、農耕に励む者はなく、軍法も守られていません。
ですので、陛下が軍を進められれば、必ず彼を打ち破ることができるでしょう。
その上で西方に向かえば、やがて巴蜀(益州)の奪取も可能となります」
甘寧は黄祖のところに何年もいて様子を観察していましたので、その言葉には説得力がありました。
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