稲葉一鉄と斎藤利三
信長と光秀が仲違いをした原因に、光秀の重臣・斎藤利三の存在があります。
斎藤利三は、元は稲葉一鉄という武将に仕えており、その娘婿になっていました。
しかし一鉄とケンカ別れをして退転し、血縁関係のある光秀に再仕官しています。
このあたりの動きからも、当時の武士気質がどのようなものであったかが表されています。
光秀は利三を重用し、筆頭家老の待遇と1万石の所領を与えました。
利三は統率力に優れており、光秀は「明智軍に欠かせない人材だ」とまで評価しています。
しかしこの利三の存在が、光秀と信長に破滅をもたらすことになるのでした。
一鉄の抗議
光秀は利三の他に、那波直治という武将も一鉄から引き抜いているのですが、次々と武将が光秀の元に移籍したことに一鉄は怒り、やがて信長に訴え出ました。
【稲葉一鉄の肖像画】
信長は一鉄の訴えを聞き入れ、光秀に2人を返還するように命じます。
しかし光秀はこれを拒み「良き士を求めるのは、信長様によりいっそう尽くすためでございます」と弁明しました。
光秀が信長の命令に逆らったのはこれが初めてでしたが、地位が高まったことから、これくらいの主張はしてもいいだろうと判断したのでしょう。
ところが信長は、光秀が生意気にも自分の命令を拒んだことに激昂し、その髷をつかみ、頭を殴りつけ、足蹴にしました。
信長の目には、口答えをする光秀の姿が佐久間信盛と重なって見え、それでかっとなってしまったのかもしれません。
光秀は、いかに卑賤の身から取り立ててもらったとは言え、数万の軍勢を率いるほどに立身していたわけですので、この信長の行為には誇りを傷つけられ、衝撃と怒りを感じ、謀反を思い立つきっかけになったと考えられます。
命令をきかないことに怒るところまでは、さほどおかしくありませんが、このために暴力をふるってもよいとは、とても言えないでしょう。
しかも相手は重臣であり、54才にもなっている大のおとなです。
この行為から晩年の信長は、感情の抑制ができなくなっていたことがうかがえます。
森蘭丸の忠告
この頃の信長には、森蘭丸という秘書官が近侍しており、信長が光秀を殴打した際にも同席していました。
【森蘭丸・後世の想像画】
そして蘭丸は、光秀が「取り立てていただいた莫大な恩がありますので、叛意は抱きませんが、これは、あまりのことではありませんか」と述べ、涙を流す姿を目撃しました。
その夜、蘭丸は信長に面会し、「光秀を成敗してしまうべきです」と主張します。
「光秀が『叛意がない』とわざわざ口にしたのは、謀反を思い立ったからで、だからわざと打ち消すような言葉を述べたのです」というのが蘭丸の主張でした。
しかし推測でしかなかったので、信長はこれを取り上げず、光秀を成敗することはありませんでした。
光秀にそんな大それたことはできまい、と侮っていたのか、天下を手中に収めつつある自分を害することなど誰にもできまい、と思い上がっていたのか、あるいはその両方だったのかもしれません。
その判断が間違っていたことは、間もなく証明されています。
直属で1万5千の、そして与力も含めれば数万の大軍を率いさせている者を殴打しておいて、自分の身に危険が迫らないと考えていたわけですので、この頃の信長からは、かつての鋭敏さが失われていたことがわかります。
絶大な権力を手に入れたことで増長し、他人の感情に鈍くなっていたのでしょう。
【次のページに続く▼】