劉備の殺害を進言する
曹操は劉備を歓迎しますが、程昱はこの時、次のように進言をします。
「劉備を観察しますに、ずば抜けた才能を持っている上に、人心をよくつかんでいます。
ですので、いつまでも人の下についている人間ではありません。
早い内に始末した方がよいでしょう」
しかし曹操は「今は英雄をこちらに引きつけ、味方を増やしていくべき時期だ。
一人を殺して天下の人心を失うわけにはいかない」と言って、程昱の意見を採用しませんでした。
結果からすると、この時に劉備を討っていれば、曹操は天下を統一できたかもしれません。
しかし曹操の言うとおり、劉備を殺害したら、その後、馬騰や張燕、張魯など、他の諸侯たちが曹操に降伏することはなかったでしょう。
ですので、これにはどちらを選んでも得と損があり、簡単には程昱が正しい、曹操が正しい、とは言えない問題でした。
劉備は曹操の元を離れる
その後、曹操は呂布を討って徐州を制圧します。
一方で都では、董承らが曹操暗殺の計画を進めており、劉備もその仲間に引き込まれていました。
しかし劉備は計画の成功を危ぶみ、徐州を袁術が通過しようとしているという情報を得ると、曹操に袁術を討つ役目を任せて欲しいと申し出て、出撃します。
劉備が許を去ると、これを知った程昱は、曹操にまた進言をしました。
「公(曹操)は先日、劉備に手を下されず、私たちは理解に苦しみました。
そしていま、劉備に兵を与えて出撃させましたが、彼は必ず公を裏切るでしょう」
すると曹操は劉備を派遣したことを後悔し、後を追わせました。
しかし既に時遅く、程昱が予想した通り、劉備は徐州を占拠し、曹操の陣営から離脱してしまいます。
このように、程昱は一貫して劉備を警戒し、葬ろうとしたのですが、曹操が耳を貸さなかったため、将来に禍根を残すことになったのでした。
豪胆なところを見せる
やがて程昱は振威将軍に昇進し、より多くの軍勢を率いる権限を得ます。
しかし、この頃には曹操陣営に余裕がなかったのか、手もとにいた兵数は七百でしかありませんでした。
そしてこれだけの戦力で、鄄城の守備にあたってます。
やがて曹操が袁紹と争うようになると、七百の兵力では不足するかと思い、曹操は程昱に二千人の増援を与えようとしました。
すると程昱は次のように述べ、これを断ります。
「袁紹は十万の兵を備え、向かうところ敵なしだと思い込んでいます。
ですので、私の兵が少ないのを知れば、軽く見て攻め寄せてくることはないでしょう。
しかし、もし兵力が増えれば、鄄城付近を通過する際に、袁紹は攻撃をせずにはいられなくなります。
攻撃を受ければ敗れ、私の兵と増援を、どちらも無駄に損なうことになります。
ですので、増援は送らないでください」
曹操はもっともだと思い、この意見に従いました。
すると程昱が予想した通り、袁紹は鄄城を相手にせずに通過し、攻撃を受けずにすんでいます。
しかし、大軍が来たと知れば、援軍を迎えて守りを固めたいと思うのが普通の人間の心理であり、それを断った程昱は、賢明でかつ、豪胆な人物だったことがわかります。
曹操は賈詡に対し、「程昱の肝の太さは、孟賁・夏育(古代の高名な勇士)以上だ」と言って褒めそやしました。
将軍としても功績を立てる
程昱はその後、山や沼地などに逃げていた者たちを集めて訓練をほどこし、自前で数千の軍勢を作り上げました。
その頃には、袁紹は官渡で曹操に敗れて撤退し、やがて病のために死去していました。
曹操は河北を制するため、袁紹の子・袁譚や袁尚を討伐しますが、程昱はこの時に、増強した軍勢を率いて戦いました。
そして李典とともに敵将を撃破し、水路を確保して物資の輸送を円滑にする功績を立てました。
これによって奮武将軍に昇進し、安国亭候の爵位を与えられています。
このように、程昱は参謀としてだけでなく、将軍としても優れた手腕を持っていたのでした。
文武両道の、優れた人材だったのだと言えます。
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