郭嘉 神のごとき智謀を備え、曹操の理解者だった軍師の生涯

呂布にとどめを刺すように献策する

曹操は徐州に遠征すると呂布と三度戦い、いずれも勝利しました。

すると呂布は退却し、本拠の下邳かひに戻って守りを固めます。

一方、連戦によって曹操軍の士卒は疲弊しており、このために曹操は退却を検討するようになりました。

この時、郭嘉は曹操に、退却せずに攻撃を継続するように進言します。

「項羽はにわかに勢力を失い、自害して果て、国は滅ぶことになりました。

それは自らの武勇を頼むばかりで、策が欠けていたからです。

呂布は戦うごとに打ち破られ、このために気力が衰え、確たる信念を失っています。

呂布の力は項羽に及びもつかない上に、それ以上に疲労困憊しています。

勝ちに乗じてさらに彼を攻撃すれば、捕虜にすることができるでしょう」

すると曹操は「もっともだ」と答え、方針を改めることにしました。

そして郭嘉は荀攸とともに、水や水から水を引き、それを下邳に注ぎ込んで水攻めをしかければ、城壁を崩して呂布を降伏させることができると提案します。

曹操が彼らの策を実行に移すと、果たして下邳の守りは崩れました。

そして呂布は抵抗をあきらめ、降伏しています。

こうして郭嘉はその智謀によって、強敵である呂布を葬ったのでした。

郭嘉地図1

劉備を処置するよう進言する

これよりしばらく前のこと、呂布に徐州を追われた劉備が、曹操に降伏しました。

すると曹操は賓客に対する礼をもって劉備を待遇し、豫州の牧(長官)に取り立てました。

郭嘉はこの事を危惧し、曹操に進言します。

「劉備は人並外れた才能を持っている上に、人々の心をよくつかんでおります。

そして部下の関羽や張飛は、一万人を相手にできるほどの英傑であり、彼のために決死の働きを見せています。

私の見るところによりますと、劉備は人の下につくことを好まず、どのような計略を立てるか、予測しきることは困難です。

昔の人は『一日敵を野放しにすれば、数代にわたって災いになる』と申しています。

早いうちに処置してしまうのがよろしいでしょう」

しかし曹操は、皇帝を推戴して天下に号令し、各地の英雄を味方につけようとしているところでしたので、郭嘉の進言に従うことはできませんでした。

もしも劉備を討ってしまえば、今後、曹操に降伏してくる者がいなくなるからです。

やがて袁術が徐州を通過し、北方の袁紹を頼ろうとしている、という情報が入ってきました。

すると劉備は曹操に申し出て、「私が徐州に向かい、袁術を防ぎましょう」と提案します。

曹操はこれを承認し、劉備に軍勢を与えて徐州に向かわせます。

すると郭嘉は、同じく参謀の程昱ていいくとともに、車で駆けつけ曹操を諌めました。

「劉備を自由にさせれば、必ず変事が起こるでしょう」

しかしその時、劉備はすでに徐州への進軍を開始しており、やがて到着すると、郭嘉が予測した通り曹操に背きました。

このため、曹操は郭嘉の進言を取り上げなかったことを後悔します。

結局のところ、この時に劉備を始末しなかったことで、曹氏は天下を統一することができなくなってしまったのでした。

劉備の早期討伐を勧める

曹操は早いうちに劉備を征伐したいと考えましたが、このことを議論をした者たちはみな、軍が出撃した後で、袁紹が背後をついてくることを懸念し、出撃には賛成しませんでした。

このために曹操はためらい、郭嘉に相談を持ちかけます。

すると郭嘉はこう答えました。

「袁紹は鈍重で、ためらうことが多い性格です。

ですので彼が出撃するまでには、かなりの時間を要するでしょう。

一方で、劉備はまだ挙兵したばかりで人々の心を十分にはつかんでいません。

ゆえに彼を急襲すれば、必ず打ち破ることができます。

これは存亡の分かれ目であり、決して好機を逃してはなりません」

すると曹操は「もっともだ」と答え、ただちに劉備を征伐しました。

郭嘉の予測通り、劉備は敗北して袁紹のもとに逃げ去っています。

そしてこちらもまた予測通り、曹操が動いても、袁紹が出撃することはありませんでした。

【次のページに続く▼】

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