劉備が別働隊として曹操の本拠を脅かす
豫州(よしゅう)はこの時期に献帝が住まう都が設置され、曹操が本拠としていました。
しかし官渡の戦いの情勢が不利であることが伝わると、この土地で元黄巾賊の劉辟(りゅうへき)が反乱を起こします。
袁紹はこれを好機ととらえ、劉備を派遣して劉辟を支援させました。
合流した劉備と劉辟は荀彧が守る許昌の周辺を荒らして回り、曹操軍を脅かします。
これに対し、曹操は従兄弟の曹仁を派遣して劉備らを撃退しました。
しかし袁紹はもう一度劉備に軍勢を与えて送り込み、もう一人の元黄巾賊の将・龔都(きょうと)と連携させます。
曹操は再び劉備を討つべく蔡陽という将軍を討伐に派遣しますが、今度は劉備に返り討ちにされてしまいました。
この結果、豫州の郡県の多くが袁紹側に寝返ってしまい、曹操は本拠の支配権を失いそうな状況になってしまいます。
この時が曹操にとって最大の危機的な状況であったと言えるでしょう。
しかし曹操は荀彧の励ましを受け、粘り強く逆転のための策を講じていきます。
互いに兵糧を狙う
官渡の砦の攻防戦が膠着状態になったため、曹操と袁紹は、互いに相手の兵糧補給を妨害し始めます。
荀攸が作戦を立てると、曹操はそれに沿って徐晃と史渙(しかん)に別働隊を率いさせ、袁紹軍の輸送隊を攻撃させます。
この結果、多くの穀物を焼き払うことができ、袁紹軍は補給に困難を来すようになっていきました。
これに対抗するため、袁紹軍も曹操軍の輸送隊を攻撃するようになりました。
このため、両軍とも食料の不足が深刻になっていきます。
それぞれに兵糧を防衛する
これ以上の食料の喪失を防ぐため、袁紹は淳于瓊に軍を預けて烏巣(うそう)の食料備蓄庫を防衛させることにします。
この時に沮授が蒋奇という武将を淳于瓊の支援に付けるようにと進言しますが、これも袁紹は受け入れませんでした。
沮授は烏巣の防衛の成功がこの戦いの勝敗を左右すると考え、防備にはもっと多くの戦力を割くべきだと判断したのですが、袁紹にはそのことが理解できなかったようです。
一方で曹操も任峻(じゅんしゅん)という優れた将に輸送隊を守らせる措置を取り、これによって袁紹軍は曹操軍の食料に手出しができなくなっています。
こうして双方の食料輸送を妨害する策も効果を発揮しなくなるかと思われた時、荀彧が予測した「袁紹陣営の変事」が発生しました。
許攸が曹操に寝返る
袁紹軍の幹部には、許攸という参謀がいました。
彼は袁紹や曹操と子どもの頃からの友人であり、この頃には袁紹の配下になっています。
彼は策を立てるのに巧みであったことから、田豊とも並び称されるほどの名声を得ていました。
しかし許攸は欲深な性格で、袁紹が与えてくれる待遇には満足していませんでした。
許攸は膠着した状況を打破するため、袁紹に軽騎兵を許昌に派遣して襲撃させ、後方を撹乱する作戦を提案しましたが、採用されません。
また、この頃に審配によって罪を犯した家族が逮捕されてしまったことから、袁紹の陣営にとどまる意欲を完全に失っていました。
このため、許攸は曹操が旧友であったことを頼りに、袁紹を裏切って曹操の陣営へと鞍替えします。
この許攸の行動によって、官渡の戦いに決着が訪れることになります。
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