太田資正 軍用犬を用い、北条氏と戦い続けた知将の生涯

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佐竹氏の家臣となる

岩付城を追われた資正は娘婿で、おし城城主の成田氏長を頼ります。

そして他の北条氏に敵対する城主からも支援を受け、岩付城を氏資から取り戻そうとしますが、これに失敗します。

息子に敗れたことによって気落ちしたのか、この時に出家して「三楽斎さんらくさい」と名のるようになりました。

それでも資正は復権をあきらめたわけではなく、常陸の大名・佐竹義重の家臣となり、武将としての活動を継続しています。

佐竹義重は北条方の片野城を奪うと、資正を城主に任じました。

こうして資正は再び対北条氏の最前線で戦うことになります。

やがて岩付城に幽閉されていた次男の梶原政景が脱出してきて、資正と合流しました。

そして片野城の近くにある柿岡城の城主となって、資正とともに戦っています。

上杉氏と北条氏が同盟を結ぶ

こうして資正は新たな城を得て、次男と協力して体制を立て直しますが、そうこうしているうちに、関東の情勢が大きく変化しました。

1569年になると、武田信玄は今川氏真との同盟を破棄し、駿河するが(静岡県)に侵攻しました。

この結果、今川氏と武田氏との間に三国同盟を結んでいた北条氏康は、この盟約違反に怒り、信玄と敵対するようになります。

そうなると、北条氏は武田氏と上杉氏という二大勢力と敵対する状況になりましたので、氏康は片方の敵を減らすべく、謙信に和睦を申し入れました。

謙信はこれを受け入れるつもりはなかったのですが、越後の諸将は度重なる関東への出征の負担に耐えられなくなっており、和睦に賛同するものが多数に上ります。

この結果、謙信は和睦を受け入れざるを得なくなり、やがて上杉氏と北条氏の同盟が成立しました。

資正と謙信の対立

資正は北条氏を激しく敵視していましたので、この同盟には反対の意見を伝えますが、謙信がこれを受け入れることはありませんでした。

この結果、資正と謙信の関係が悪化していくことになります。

謙信と北条氏との交渉の結果、岩付城など武蔵北部の諸城が北条氏から返還されることになりました。

そして謙信は氏資に代わって資正を岩付城主にしますが、この際に、佐竹氏から与えられている片野城と柿岡城を放棄することを求めます。

元より謙信は、資正が佐竹氏に接近することを好んでいませんでした。

佐竹氏は謙信に従う姿勢を見せていなかったからです。

このため、佐竹義重と縁を切るように求められたのですが、資正はこれに反発し、謙信とはっきりと対立するようになりました。

資正からすれば、北条氏と戦うためには佐竹氏の支援が必須となっていましたが、謙信は遠い越後にいて、直接の支援ができないのに、命令を下してくることへの不満が高まっていたと思われます。

もちろん、謙信が北条氏と同盟を結んだ事への反感も募っていたでしょう。

謙信はこの年の10月に片野城を放棄し、二度と帰還しないようにと厳命して来ますが、資正はこれを黙殺しており、両者の対立が深まっていきました。

小田城を攻略する

この頃の資正は、北条氏に味方する常陸の武将・小田氏治うじはると戦っていましたが、鮮やかな戦術で敵の城を奪い取っています。

1572年になると、小田氏治は3千の兵を率い、資正が6百の兵で守る片野城に攻め込んできました。

氏治は仏乗ぶつじょう寺という、周囲が切り立った崖になっている要害に陣を構え、そこを拠点にして片野城を攻略しようとします。

これを見た資正は、敵の5分の1という劣勢であったにも関わらず、小田氏の本拠・小田城を奪取する計画を立てました。

資正は家臣たちを励まし、城に籠もらずにこちらから攻めかかると伝えます。

そして同時に佐竹氏に使者を送り、敵が片野城に攻めかかるのと入れ違うようにして、こちらは小田城を攻めるので、援軍を送って欲しい、と伝えました。

そして資正は5百の兵を率いて出陣し、仏乗寺に対して30挺の火縄銃で銃撃をしかけます。

すると小田軍は、「あの程度の小勢で攻めかかってくるとは哀れなことだ。適当にあしらって追い払い、明日には片野城を乗っ取ってくれよう」と豪語し、油断するようになりました。

資正はしばらくの間、銃撃をさせるなどして時を過ごすと、やがて次男の梶原政景に3百の兵を与え、山道を通って密かに小田城に向かうようにと命じます。

そして資正自身も、残る2百の兵を率いて、こちらはわざと敵の目につくように、街道を通って小田城を目指します。

すると小田軍は「敵は逃げ始めたぞ、城を取れ!」とわめき、片野城に攻め込む部隊と、資正を追撃する部隊とに別れ、行軍を開始しました。

しかし彼らが陣を構える仏乗寺は、切り立った崖の上にあったため、簡単に下りることができず、移動するのに時間がかかってしまいます。

その間に政景は小田城にたどり着き、「当主が帰還した」と触れ回って敵をだまし、城中に入り込みました。

そして城の一角を占拠すると、狼狽する敵を攻撃して、その多くを討ち取ります。

資正も合流してこれを支援すると、やがて佐竹氏の援軍が到着し、難なく小田城を奪取してしまいました。

敵が動きの取りづらい仏乗寺に陣を構えたのを見て、素早く行軍すれば、がら空きの敵城を乗っ取れると判断した資正の策が、見事に的中したのでした。

こうして資正は、すぐれた策士としての力を見せつけています。

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