青州兵を討伐する
于禁たちは曹操の居場所にたどり着く前に、その途中で傷を負い、武装をせずに逃げている十数人の兵士に遭遇します。
于禁が事情をたずねてみると、彼らは「青州兵に奪われたのです」と答えました。
これより前のこと、曹操は青州にいた黄巾賊を降伏させ、傘下に組み入れています。
この経緯から、彼らは「青州兵」と呼ばれました。
しかし、曹操が寛大にあつかったのをよいことに彼らはつけあがり、味方の兵からも略奪を行うようになっていたのです。
これを聞いた于禁は怒り、「青州兵は、同じく曹公に属する者に悪事を働くのか!」と述べ、青州兵を討伐しました。
青州兵たちは于禁の攻撃を受け、泡を食って逃げ出し、曹操に訴え出ます。
于禁もまた曹操の元に到着しますが、陣営を設けることを優先し、すぐに曹操に会おうとはしませんでした。
このため、「青州兵はすでにあなたのことを訴え出ています。すぐに公の元に行き、事情をはっきりさせた方がよいでしょう」と忠告する人がいました。
于禁はこれに対し「いまは賊軍が背後に迫っている。追撃がくるまでさほど間がないだろう。まず備えをして、敵に対応しなければならない。そして公は聡明な方だから、偽りの訴えなど、何の役にも立つまい」と答えます。
そして塹壕を掘り、陣営を構築しおえてから、ようやく曹操に会い、事情を詳しく説明しました。
曹操はこれを聞くと喜び「淯水における敗北は、わしにとって重大な危機だった。将軍は混乱の渦中にあわてることなく、暴虐を討ち、よく守りを固めた。不動の節義を備えていると言うべきだ。過去の名将たちであっても、これほどではなかっただろう」と述べ、于禁を称賛します。
そしてこれまでの于禁の功績を取り上げ、益寿亭候の爵位を与えました。
このように、于禁は冷静かつ重厚な指揮官だったのでした。
袁紹との戦いで重要な役割を担う
于禁はその後、張繡を再び攻撃した際や、徐州で呂布を討伐した際にも戦功を立てています。
そして曹操が袁紹と戦いはじめると、敵は大軍でしたが、于禁は自ら先陣を担いたいと申し出ました。
曹操はその意気を買い、歩兵二千人を于禁に預け、延津の守備にあたらせます。
于禁がこの地で袁紹軍の攻撃を防ぐうちに、曹操は軍勢を引き連れて官渡に戻りました。
このころ、徐州は劉備に奪われていたのですが、配下の将を差し向けても勝利できないので、曹操は自ら討伐にあたることにします。
このため、曹操の陣営は手薄になりましたが、于禁が固く守り通したので、曹操が官渡を開けても、袁紹軍の追撃を受けることはありませんでした。
袁紹の別軍を打ち破る
その後、于禁は楽進とともに五千の兵を指揮し、各地の袁紹軍の別働隊を攻撃します。
于禁たちは延津から南西に移動し、汲と獲嘉の二県におもむき、そこで袁紹軍の陣地を三十ヶ所以上も焼き払いました。
この時、討ち取った敵が数千、捕虜にした者が数千もおり、袁紹軍の武将を二十人以上も降伏させる戦果をあげています。
それから別命を受け、次は原武に駐屯し、付近にある袁紹軍の陣地を攻撃し、こちらでも勝利を収めました。
これらの功績によって、于禁は裨将軍に昇進しています。
官渡の防衛にも力を尽くす
やがて曹操は官渡城に籠城するのですが、この時に于禁もまた、防衛戦に加わりました。
曹操は袁紹と互いに陣営を並べ、土を盛り、山を築いて対戦します。
袁紹は曹操の陣営の中に大量の矢を射かけたので、曹操軍の死傷者が増えていくばかりとなりました。
このため、曹操軍の士気が低下しましたが、于禁は土山の守備を担当し、力の限りに戦ったので、士気を盛り返すことができました。
やがて曹操が、袁紹軍の食糧が蓄えられている拠点を陥落させたことで、逆転勝利を収めます。
こうして戦いが終わると、于禁は偏将軍に昇進し、さらに立場が強まりました。
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