郤正 魏への降伏文書を作成し、劉禅に随行した蜀の文学者

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いま、天綱はすでにつづり直され、徳のある政治が西方にて打ち立てられ、皇祖の偉大な法を受け継ぎ、爵位を与えて士人の心をつなぎとめ、五つの教え(仁・義・礼・信・智)を興隆させて世を導き、九徳をもり立てて民を救済し、祖先の廟を大事にして祭祀を執り行い、皇道を求めてその真を保っておられる。

割拠する者は統一されず、偽りの支配者が増長しているが、聖人が訓戒を授けると、みなが平等になり、貧者はいなくなった。

ゆえに、君臣は努めて朝廷を運営し、民は野にあって喜んでこれを戴き、行く時にも止まる時にも、規則を重んじている。

あまたいる偉大な人々は、しゅんの重臣にも匹敵し、過失を悟って身をただす様は、顔淵の仁徳と同じであり、その剛直さは冉有ぜんゆう季由きゆう(子路)と同じであり、鷹や鷙が飛び上がるような勇ましさは、伊尹・太公望と同じである。

主上は俊才たちが奉じる優れた計略を統べ、せつ氏の三つの計を考えに含み、張良・陳平のごとき秘策を施されている。

ゆえに、征討に勤め、英才を登用することに精一杯で、枯れた竹の皮などを、はしばみ(低木)の中から拾い上げる暇はおありではないのだ。

しかし、私は不才の身ではあるものの、朝廷に仕えて年を重ね、この身を天と仰ぐ方に託し、心から頼りにしている。

滄海の深さと広さを楽しみ、嵩山すうざん(神聖な山)の高くゆるぎない様子に感嘆し、仲尼が商(子夏)を褒めたのを聞き、郷校が自分の役に立ったことに感動している。

かの平仲(晏嬰あんえい。斉の宰相)の補佐も、善を励まし悪を退けた。

ゆえに、私は愚昧の身であったが、つたない言葉を述べ、時には進言をすることもあった。

それは遒人しゅうじん(道を歩いて世論を調査する官吏)が市場や村落で集める言論、遊んでいる子供が田のあぜ道でする吟歌のようなものであり、それによって国家の幸福を増し、力を尽くして主上の過ちをただし、諫めようとしたのである。

もしも主上のご意向にかなったのであれば、暗愚の身をもって聡明な主上と一致したことになり、進んで漢朝興隆の瑞兆に身を尽くしたことになる。

もしも主上のご意向と異なれば、私のような者には当然のことだとして、身を引いて己の愚かさをわきまえる。

進退は運命に委ね、偽りもせず、欺きもせず、本性のままに天命を楽しんだ。

だから恨みなどはない。

これがあなたが言うような、宮中に入ったら外に出ず、才能がありながらもないように見えることの実態なのだ。

他人が酔っているときにも醒めていた屈原くつげんの態度を偏狭だと思い、必ず酔えという漁父ぎょほの態度が汚れたものだと思い、柳季りゅうきの身を卑しめ、屈辱を受けた姿を汚らわしいと思い、伯夷はくい叔斉しゅくせいの節義を貫いたゆえの恨みを、狷介と感じる。

主上の意向と合致しても何を得るわけでなく、異なっても何も失わない。

得ても卑屈にならず、失っても心を悩ませない。

車に乗っても、前にいるときは後ろを顧みないし、後ろにいるときは前のことを気にかけない。

誉れを売りものにして恩沢を求めず、過失を犯さないように気を配り、失脚を免れようとは思わない。

だから職責に対して言い訳をする必要はない。

どうして俸給を盗んでいるという非難を気にかけるだろうか。

どうして正しい言葉を並べる必要があるだろうか。

どうして直言を捧げる必要があるのか。

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