九度の勤務評定において、転任をさせられなかったのは、私がこだわってきた生き方のゆえなのだ。
いま、朝廷に仕える人は山のように多く、俊才が群れをなしている。
魚が大海にひそみ、鳥が鄧林(広大な林)に集っている時に、鳥が飛び去ってもたいして数が減らず、泳ぐ魴(淡水魚)が加わっても、群れの総数に差が生じないのと同じ事である。
陽の気が唐の時代に衰えると、陰の気が商の時代に盛んとなり、陽盱の河に祈りを捧げると洪水が鎮まり、桑林の岸辺で祈ると恵みの雨が降った。
行くも止まるも道があり、運命の開閉には時期があるものである。
わが師(孔子)が残された教訓には「天を怨まず、人をとがめず」とある。
つまり、運命に身を委ね、身を慎むのだ。
私にこれ以上、何を言うことがあるだろうか。
言葉が行き詰まり、道がふさがったのだから、最初の生き方に戻るべきだろう。
古典が現代に伝える香気あふれる教えを総合し、孔子の残された学問を研究し、深遠な言葉をつづって道義を明らかにし、先人の道を規範としてその掟に従い、叔肸の重厚な態度を評価し、疎氏が遠くへ旅立ったことを称賛し、止めるべきことと足りるべきことを把握して故郷に戻り、白々とした水に浮かんで悠然と立ち去り、小さな家に充足して欲のない生活を楽しみ、この世で受けるとがめや後悔を免れたいものだ。
その気持ちがまだ安定してないことを顧み、行く道がぬかるんでおり、進めないのではないかと懸念する気持ちがわいてくる。
このため、私の気持ちをふるいたたせ、私の思いを全て述べ、誓いを立てる。
その昔、九方は良馬がたくわえる精気を見抜き、秦牙は外見のよしあしに思いをめぐらした。
薛燭は宝剣を見分けて名声を高め、瓠梁は絃を奏でて名を広めた。
斉の奴隷はももを叩いて田文を救い、楚の食客は敵陣に潜入して荊を守った。
雍門は琴を手に説得し、韓哀はくつわを取って名を馳せた。
廬敖が天空の玄闕山に飛翔すると、雲のかなたにそびえ立った。
私はこれらの名人たちのような技は持ち得ない。
だからひっそりとおのれの生き方を守り、それに安んじよう』」