孫堅 呉の礎を築いた孫策・孫権の父の生涯について

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袁術と会見し、破虜将軍・豫州刺史となる

その後、孫堅は魯陽ろようにまで軍勢を進めると、そこで左将軍という高位にあった袁術と遭遇します。

袁術はこの時期、董卓を恐れて都を逃れ、荊州北部のあたりにまでやってきていたのでした。

孫堅は袁術の傘下に入ることを約束し、その見返りとして破虜はりょ将軍・州刺史の地位を得ます。

それまでの孫堅は、数万の軍勢を率いているとはいえ、地位は長沙太守でしかありませんでしたので、格が不足していました。

それを名門の出身である袁術に従うことで補い、地位を高めて大軍を率いることの正当性を得ようとしたのでしょう。

こうして立場を固めた孫堅は、兵を率いて董卓との戦いにのぞみました。

董卓軍の襲撃を退ける

孫堅は進軍する前に食糧を確保しようと、部下の公仇称こうきゅうしょうを荊州に派遣することにします。

そして城の外に幔幕を張り、公仇称を送別するための酒宴を開きました。

この頃には、董卓は孫堅を討つために数万の軍勢を送ってきていましたが、そのうちの十数騎の軽騎兵が、この酒宴の場に乗り込んできます。

孫堅はこの時、酒宴の場で談笑をしていましたが、報告を受けると兵士たちに「隊伍を整え、みだりに動かないように」と命令しました。

城壁に守られていない状況で襲撃を受け、かなりの危機的な状況でしたが、孫堅はそのまま立ちあがりもせずに酒宴を続け、落ち着き払った態度を見せています。

やがて董卓軍の騎兵が集結してくると、孫堅は酒宴をやめ、人々を引き連れて城内に入りました。

董卓軍からすれば、孫堅を討つ絶好の機会でしたが、孫堅の陣営に少しも乱れがなかったので、攻撃をあきらめて撤退しています。

孫堅は後になって側近たちに、「私がすぐに酒宴をやめて立ち上がっていたら、兵士たちは浮き足だって混乱し、みなが無事に城内に戻ることはできなかっただろう」と、自分の行動の意図を説明しました。

孫堅は軍の進退の駆け引きが巧みだったことを、うかがわせる逸話です。

頭巾を祖茂にかぶらせて危機を逃れる

孫堅はその後、りょうの東部に駐屯しましたが、そこで董卓軍の襲撃を受けます。

孫堅はこの戦いに敗れ、数十騎の部下とともに囲みを破って脱出しました。

孫堅はいつも赤いフェルトの頭巾をかぶっていましたが、このために董卓軍から位置が丸わかりとなり、執拗な追撃を受けます。

これから逃れるため、孫堅は側近の祖茂そもに頭巾を渡してかぶらせましたが、果たして董卓軍の騎兵は、争って祖茂を追跡するようになりました。

その隙に孫堅は、間道をつたって逃げおおせています。

一方で祖茂は追いつめられると、馬を降りて頭巾を墳墓の間に立つ柱にかぶせ、自身は草むらの中に身を潜めました。

すると董卓軍の騎兵たちが柱を遠巻きにして囲み、やがて接近します。

するとそれが柱でしかないと気がつき、孫堅を取り逃がしたと悔しがりつつ撤退しました。

こうして孫堅は側近の献身と機転によって、危機を逃れたのでした。

思うに、孫堅が赤い頭巾をかぶっていたのは、戦場で自分の存在を目立たせ、誇示する意図があったのでしょう。

たたき上げの孫堅らしいふるまいですが、それが劣勢になった時には、自らの身に危険を招き寄せる原因にもなってしまったのです。

陽人の戦いで大勝する

こうして孫堅は敗北を喫しましたが、敗残兵を集めると、今度は陽人ようじんという地に駐屯しました。

すると董卓は、部下の胡軫こしんと呂布を派遣し、陽人を攻撃させようとします。

しかし胡軫と呂布は仲が悪く、呂布は胡軫の足をひっぱり、作戦を失敗させようと画策しました。

董卓軍が陽人の近くに到着したのは夕暮れ時でしたが、それまでに一日中行軍をしていたので、すでに疲労していました。

そういった状況下で、呂布は胡軫に対し、「孫堅の軍勢は我々が接近したことを知ると恐れおののき、すでに撤退を始めたようです」と偽の情報を送り、すぐに追撃に移るようにと勧めました。

これを受け、胡軫は呂布とともに陽人に急行し、攻撃を始めますが、孫堅は陽人城を固く守っており、まったく動じることはありませんでした。

このために胡軫は引き下がって休息を取りますが、今度は呂布が「孫堅軍が出撃してきました」とまたも偽の情報を流したため、あわてて撤退します。

しかし孫堅の襲撃はなく、胡軫隊はますます疲労をつのらせました。

そして夜が明けると、再び胡軫は陽人城に攻撃をしかけますが、孫堅軍の防衛体制はゆるぎなく、徒労に終わっています。

こうして呂布の策謀によって奔走させられ、疲れ果てた胡軫は撤退しようとしますが、孫堅はその機を逃さず、全軍を出撃させて追撃をかけました。

この結果、孫堅は胡軫に大勝し、董卓配下の華雄かゆうを討ち取り、その首をさらしものにして勝利を喧伝しています。

こうして呂布の悪意と、孫堅の的確な指揮が合わさったことで、孫堅はおおいに武名を高めることになりました。

そしてついに、董卓に占拠されていた洛陽にまで迫れる状況になります。

【次のページに続く▼】