董卓 後漢の実権を掌握するも、呂布に殺害された暴君の生涯

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長安に移って太師になる

董卓は長安に移ると、さらに自分の権威を高めるため、太師たいしという地位に就きました。

これは古代王朝・周の建国に貢献した太公望たいこうぼうに与えられた地位で、董卓はそれを得ることで、自身を太公望になぞらえようとしたようです。

太公望は長く繁栄した王朝を作った人物でしたが、董卓は後漢を滅亡に追い込んでいった人物ですので、まったくそぐわない地位に就いたのだと言えます。

先に相国に就任したことといい、董卓は歴史上の偉人たちと同じ地位を得ることを好んでいました。

それによって自分の権威を高めようとしたのでしょうが、実態が伴わないため、世間の人々からは反感と嫌悪の情を持たれただけで終わっています。

さながら、猿が王冠をかぶって喜んでいるようなありさまでした。

もっとも、この猿は強大な軍事力を持っていましたので、容易に嘲ることもできなかったわけですが。

皇帝と同じ車に乗る

それ以外にも、董卓は皇帝のみが用いる青い天蓋と金の飾りがついた車に乗るようになりました。

これを人々は「竿摩かんま車」と呼びました。

竿摩とは「人に近づき、迫る」という意味ですが、これは董卓が皇帝に近づき、その地位を狙っているのだろうと解釈されたのです。

ここに至り、漢に忠誠を誓う者たちは、いよいよ董卓の排除を本格的に進めなければならないと考え、密かに陰謀が進行することになります。

一族に地位を与え、軍事力を強化する

董卓がこのように専横をほしいままにできたのは、ひとえに彼の軍事力によるものでした。

ですので、董卓はそれをさらに強化するため、一族に左将軍や中軍校尉などの地位を与え、国軍を統括させます。

さらに、妻の一族にも朝廷の高官を与え、支配力を強めていきました。

この時には、まだ歩けない赤子ですらも、董卓の子だというだけで爵位を与えられるありさまでした。

こうしてますます勢力を強めた董卓はさらに傲慢になり、公卿たちが道で董卓に出会うと車の下で拝謁しましたが、董卓はあいさつを返さないほどに尊大な態度を取りました。

そして贅沢な暮らしを続け、その体はぶくぶくと太り、肥満体になっていきます。

食糧と財宝を蓄える

董卓は長安から離れたという土地に砦を構え、長安と同じ高さの城壁を築かせ、そこを本拠地としました。

この地に30年分の食糧と、あちこちから略奪した金銀財宝を蓄えます。

そして「大きく成功すれば天下を支配し、失敗すればここを守って一生を終えられよう」と述べました。

しかしいくら食糧や財産を蓄えようとも、人心を得ていなければ、為政者は世の中から排除されるのだという理を、董卓はまるで理解していかなったようです。

暴政が続く

董卓は長安に移った後も、変わらず感情によった気ままな統治を続け、自分が憎いと思った者を殺害し、過酷な刑罰を課していきました。

さらに董卓は処刑者名簿を作り、人々に「不実な行いをした者を訴えるように」と布告しました。

そしてその名簿に載った者を処刑し、財産を奪い取ります。

本当に問題がある人物なのかどうかは吟味されず、ただ訴えれば簡単に名簿に掲載されるため、邪魔者を排除したいと思う者たちが次々に董卓に訴え出て、その結果、罪のない者が数千人も処刑される事態となりました。

こうして董卓はさらに私腹を肥やしましたが、官僚や民衆の不満は頂点に達します。

悪貨を鋳造する

董卓はそれまで流通していた銅銭を集めさせ、すべて鋳つぶして粗悪なものと取り替えさせました。

この銅貨は大きさが以前のものの半分となり、模様がなく、穴があいておらず、ひどく粗末なものでした。

この結果、貨幣の価値が暴落し、インフレが発生して、米一石を購入するのに数十万銭が必要な事態となります。

質を落として貨幣の数を増やせば財産が増えると思ったのかも知れませんが、結局は貨幣が使われなくなる事態を招いただけでした。

まさしく『悪貨が良貨を駆逐する』を地でいく行いだったのだと言えます。

董卓はこのようにして、経済にも深刻な混乱をもたらしています。

統治能力と呼べるものは、董卓にはまるで備わっていなかったのだと言えるでしょう。

王允による暗殺計画

この頃の朝廷では、王允おういんという人物が司徒の地位に就いていました。

王允は若い頃から道義にのっとった生き方を心がけており、人物の鑑定に長けた名士から「王君は一日に千里を行く名馬のごとき人物で、天子を補佐する宰相の才能がある」と評されています。

王允は豫州よしゅう刺史や尚書令しょうしょれいなどを歴任した後、司徒となって王室を支えていましたが、大臣としての節義にかなった政治を施したため、献帝や周囲の人々から頼りにされるようになります。

そして董卓ですらも王允のことを尊敬し、信頼して朝廷の政治を任せていました。

しかし王允は董卓に心から従っていたわけではなく、従ったふりをして、彼を排除する機会をうかがっていたのでした。

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