許靖 蜀の司徒を務め、人物鑑定に優れた善良な文官

スポンサーリンク

私はその後、岸をつたって五千里ほど進みましたが、今度は風土病にかかり、伯母が命を落とし、他の従ってきた者たちにも被害が及びました。

彼らの妻子をはじめ、多くの者が亡くなりました。

それでも、もう一度助け合いながら進み、この郡まで到達しました。

しかし、兵と病に襲われたために、生き延びたのは十人のうち一人か二人というありさまでした。

民の艱難辛苦のはなはだしさは、述べ尽くすことができません。

このようにして、国がひっくり返って倒れてしまい、ずっと亡命を続けなければならないのかと、心配するあまりに、寝食を忘れてしまうほどになりました。

朝貢の使者に随行し、なんとか北方への道をたどり、宮廷に帰って死にたいと願っていました。

しかし荊州への道は水陸とも途絶え、交部にやってくる使者も絶えてしまいました。

益州に上ろうとすると、また厳しい障害がありまして、官吏や、その長だった者は、いっさい入国が許されません。

先に交州太守の士燮に頼み、益州にいる兄弟たちに連絡を取るように頼み、私もまた手紙を出し、苦しみを伝えて懇願したのですが、いまだに返事がありません。

光輝く御霊を仰ぎ見て、首を伸ばしてつま先だっていますが、どうして翼をかりて飛んでいけるでしょう。

聖主(皇帝)さまは聡明であらせられ、足下に征伐の任を授けられたことを存じています。

もろもろの反逆の徒が、誅伐を受けることになったのは、力を競う者が心を一つにして、つき従う者たちが規範を同じくしたからなのでしょう。

また、張子雲しうんがむかし都におりましたとき、王室を助けようと志していました。

いまは荒れ果てた地を治めており、朝廷に参内することはできませんが、国家の藩鎮であり、足下を外からお助けする者です。

もしけいの地が平和になり、王者の恩沢が南方にまで届くようになり、足下が張子雲に命令を下す事態が訪れましたならば、どうか保護の手を差し伸べて下さい。

そして道を借り、荊州経由で出国できるように取り計らってください。

もしくは、益州にいる兄弟との仲立ちをして、受け入れられるようにしてください。

もしも天が時間を与えたまい、災禍が緩和され、国家に戻って死ぬことができ、逃亡者の罪から解放されますのなら、我が身が九泉(死者の世界)に沈むことがあっても、なんら恨むところはありません。

時勢には険しい時と易しい時があり、物事には有利な面と不利な面があり、人の命は常なるものではありません。

命を落としてお側に行き着けない時には、永遠に罪を責められ、つなぎとめられ、荒れ果てた辺境に埋もれることになります。

その昔、営邱えいきゅう(太公望)は周を補佐し、まさかりを杖にして、自由に征伐をしてよい権限を与えられました。

博陸はくりく候(霍光かくこう)は漢を補佐し、虎賁こほん(近衛兵)を与えられ、警蹕けいひつ(皇帝と同等の特別な交通権)を許されました。

今日、足下は傾いた国を建て直し、国家の柱石として、太公望と同じ役割を担い、霍光と同じ重責を兼ねておられます。

そして五候九伯(高官たち)をその手にしてらっしゃいます。

古よりいまに至るまで、人臣の中で、足下ほどの尊い身分に昇った者はいません。

そして爵位の高い者は、国家を憂う思いが強く、俸禄が厚い者は、責任が重いものです。

足下は爵位の高さに見合う職務を果たし、責任のある地位におられますので、口から出た言葉がすなわち賞罰となり、意識をむけたところに禍福をもたらします。

その行為が道義にかなっていれば社稷しゃしょく(国家)が安寧に導かれ、その行為が道義を失えば、四方が混乱します。

【次のページに続く▼】