呂布奉先 飛将と呼ばれ、丁原や董卓を裏切った最強武将の生涯

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呂布評

三国志の著者・陳寿は「呂布は吠えたける虎のごとき勇猛さを持ちながら、英雄の才略はなく、軽率にして狡猾、裏切りを繰り返し、眼中にあるのは己の利益だけだった。古代から今にいたるまで、こういった種類の人間が、破滅しなかったためしはない」と評しています。

そして「昔、後漢を建国した光武こうぶ帝は、人物判断を誤って反乱を起こされた。曹操は張邈について、その本質を見抜くことができなかった。『人の真価を正しく判断できるのが真の知恵である。これは皇帝とて困難なことだ』というのは、真理である」とも付け加えています。

人が他者の本質を知るのは、実に難しいことで、表面的にいい顔をされれば、騙されてしまうことが多いものです。

これは基本的に、人は人を信用したがる生き物で、耳に聞こえのいい言葉だけを聞きたがるからなのだと言えます。

呂布はそういった人間の性質を悪用し、丁原や董卓に取り入り、最後には裏切って殺害しました。

そうして呂布は高い地位を手に入れますが、二度も主君を裏切れば、もうそれ以上は誰からも信用されなくなるのは、当然のことでした。

やがて呂布は、自分が頻繁に人を裏切るため、他人もまた自分を裏切るのではないかと疑うようになり、それが陳宮や候成に対する猜疑心として表面化しています。

結局は、呂布は自らの行いによって、自らの精神をむしばまれてゆき、それが破滅につながったのだと言えます。

呂布がどうしてこのような人間になってしまったのか、それはおそらく、呂布が圧倒的に強かったからではないかと思われます。

呂布は誰よりも強いがゆえに、他人を見下すようになり、自分が誰よりも偉いと思い、好き勝手にふるまっても、どうにでもなるだろうと、思い上がったのでしょう。

それが、道義に外れた行いを呂布に繰り返させたのだと考えられます。

しかし呂布は、用兵と優れた人材を集めることに関して、自分を上回る曹操と対決したことで、その息の根を止められることになりました。

呂布は、強さとは肉体の強靱さのみで成り立つわけではなく、知恵や人の和が合わさってこそ、さらに輝くものだという事実を、知らなかったのでしょう。

もしも呂布がそのような道義を理解していたら、史書には、非常に優れた将軍として名を残すことになったかもしれません。

しかしながら、呂布がこのような性格だったからこそ、際だった個性を発揮し、現代においてもその名を広く知られるほどの存在になったことを思うと、知名度というのは、なかなか複雑な成り立ちをしているものだと、考えさせられもします。