劉表と同盟を結ぶ
賈詡は張繡の陣営に参加すると、南で勢力圏が隣接している、劉表と同盟を結ぶことを勧めました。
そして賈詡は南方におもむいて、劉表に会見を申し入れます。
劉表は賓客の礼をもって賈詡をもてなし、同盟が成立しました。
その後で、賈詡は劉表を次のように評しています。
「劉表は平和な世なら三公(大臣)になれる才能を備えた人物だ。しかし事態の変化を見抜いて対処することができない。
そして疑い深く、決断力がないので、何事もなしえないだろう」
劉表は結局、荊州の外に勢力を伸ばすことはできず、賈詡が予測したとおりに生涯を過ごしています。
曹操と対決する
やがて曹操が張繡を討伐しようと攻めこんで来たのですが、ある日突然、軍を撤退させました。
すると張繡は、自らこれを追撃します。
賈詡は張繡に「追撃してはなりません。追撃をすれば必ず敗れます」と進言しました。
しかし張繡は聞き入れず、そのまま進軍して交戦し、大敗を喫して戻ってきます。
再度の追撃を進言する
すると賈詡は、今度は「もう一度追撃をしてください。もう一度戦えば必ず勝てます」と告げます。
張繡はこれを断り、「君の意見を採用しなかったから、こんな状況に陥った。敗北したというのに、どうしてもう一度追撃をするのだ?」とたずねました。
賈詡は「兵の勢いは変化していくものです。急いで出撃すれば勝利は間違いありません」と答えます。
張繡は賈詡の言葉を信用し、散り散りになっていた兵をかき集め、再び追撃をかけました。
すると今度は大いに戦った結果、勝利を得て帰還することができました。
賈詡の読み
戻ってきた張繡は、賈詡にたずねます。
「わしは精鋭を引きつれて撤退する敵を追撃したのに、君は必ず敗北すると言った。
逃げ帰った後で、敗軍を引きつれて勝ち誇る敵軍を攻撃するにあたり、君は必ず勝てると言った。
君の言った通りになったが、どうして道理に反しながら、どちらも現実のものとなったのだろう?」
賈詡が答えました。
「これはわかりやすい話です。
将軍(張繡)は用兵を得意とされていますが、曹公(曹操)にはかないません。
敵は撤退をし始めたとはいえ、必ずや曹公が自らしんがりを務め、追撃を防ぐに違いありませんでした。
追撃をかける兵が精鋭であっても、将がかなわぬ上に、敵もまた精鋭なのです。
だから必ず敗れると予測しました。
一方で、曹公は将軍を攻撃するにあたり、失策があったわけではないのに、力を尽くさないうちに撤退しました。
これは国内で何か事件があり、戻らざるを得なくなったのに違いありません。
ですので、将軍を打ち破った後は、軍兵に軽装をさせ、全速で進むはずです。
たとえ諸将をしんがりに残し、その将が勇猛だったとしても、将軍にはかないません。
だから敗残の兵を用いても、必ず勝利できると考えたのです」
これを聞いた張繡は読みの深さに感服し、賈詡を信頼するようになりました。
袁紹の誘いを断る
その後、曹操と袁紹が官渡で対峙しはじめると、袁紹は使者を送って張繡を招き、賈詡に書簡を送って味方に引き入れようとします。
張繡がこれを受けようとしたところ、賈詡は張繡も出席している会合において、公然と袁紹の使者に告げました。
「帰って袁本初(袁紹)に断りを告げてください。
兄弟でさえ受け入れることができない者が、どうして天下の国士を受け入れられましょうやと」
これは袁紹が、異母弟の袁術と仲違いしていたことを指しています。
張繡はこれを聞くと驚き、「どうしてそこまで言ってしまうのだ」と述べ、袁紹と断交してしまったことを恐れました。
曹操に帰順することを勧める
張繡は賈詡に「こうなってしまったら、誰に帰順すればいいのか」とたずねました。
当時は袁紹の勢力が最も強く、曹操がそれに次ぐ立場にありました。
張繡は袁紹の誘いを断り、曹操と敵対していましたので、進退がきわまった状況になったのです。
すると賈詡は「曹公に従うべきです」と答えました。
張繡は「袁氏は強く、曹氏は弱い。その上、曹操とわしは仇敵の間柄だ。彼に従ってよいものかどうか」と言います。
張繡は曹操との抗争の中で、長子の曹昂を討ち取っており、抜き差しならない関係になっていました。
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