曹操の諮問に答える
また一方で、曹操もまた人払いをした上で、賈詡に後継者問題を相談したことがありました。
すると賈詡は押し黙り、答えを返しませんでした。
曹操が「君に相談しているのに、答えないのはどうしてだ?」とたずねます。
賈詡は「しばし思うところがありましたので、すぐにお答えできなかったのです」と言いました。
曹操が「いったい何を考えていたのだ?」と質問をすると、賈詡は「袁本初(袁紹)と劉景升(劉表)親子のことを考えていたのです」と答えます。
すると曹操は大笑いをし、曹丕を太子にすることを決断し、この問題に決着がつきました。
袁紹も劉表も、どちらも嫡子を後継者に指名しなかったために、死後に子どもたちが争い、勢力が分裂し、やがて滅亡してしまいました。
曹操はそれを利用して勢力を拡大したのですが、自分が同じ失敗をして曹氏が衰退しないよう、嫡子である曹丕を後継者に決定したのです。
疑われないよう、ひっそりと暮らす
賈詡は自分が曹操の古くからの臣下ではないのに、策謀を得意としていたことから、人から疑われることを警戒していました。
このため、普段は門を閉じてひっそりと暮らし、朝廷から退出した後では、私的な交際をしませんでした。
そして息子や娘の結婚相手には、高い身分の者を選ばないようにします。
天下の知恵のある者たちは賈詡の処世を高く評価し、心を寄せました。
賈詡のように、何人かの主の元を転々とし、策に長じた者は不幸な終わりを遂げることが多いのですが、賈詡はあらかじめ危険を理解して対処していたので、その身を害されることがなかったのでした。
太尉になる
220年になると、曹操の後を継いでいた曹丕が献帝に禅譲を迫り、魏の初代皇帝に即位します。
すると賈詡は太尉に任じられました。
太尉は三公のひとつで、臣下としては最高の位についたことになります。
これは曹操に諮問を受けた際に、賈詡がなんと答えたのかを、曹丕が知っていたためでした。
このため、即位すると一番に賈詡を登用したのです。
賈詡は三公にふさわしくないと見られていた
後に晋の時代になると、司徒(三公のひとつ)に欠員ができたことがありました。
すると晋の武帝は荀勗(荀彧や荀攸の一族)にふさわしい者がいないかとたずねます。
荀勗は「三公は人々が心を寄せる者こそがふさわしいと言えます。
適さないものを任用してはなりません。
昔、魏の文帝が賈詡を三公に起用したとき、孫権はこれを笑ったものです」と答えました。
このように、賈詡が太尉になったことは、世間からよく見られていなかったようです。
董卓や李傕に仕え、世を乱す側に加わっていた経歴が、そのように判断される原因となったのでしょう。
加増され、子どもも取り立てられる
賈詡は爵位が魏寿亭候に上がり、三百戸を加増されて八百戸になります。
そして領邑の中から二百戸を分けて子の賈訪に与え、列侯にしました。
また、長男の賈繆は駙馬都尉に任命され、取り立てられています。
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