劉封 劉備の養子になるも、諸葛亮によって自害させられた武将

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孟達からの手紙

以下に、孟達が劉封へ送った手紙を掲載します。

「古人の言葉に、『他人は親類の仲を割かず、新参は古参を押さえつけないものだ』とあります。

この言葉の意味は、上に立つ者が聡明で、下々が正しいのであれば、悪いことは行われない、ということです。

しかし、目先のことにとらわれて力に頼り、駆け引きをする君主に対する場合はもちろん、賢明な父親や、慈悲深い親に対する場合でも、忠臣が功業を挙げながら災いにあい、孝行な子が愛情を抱いているのに、困難に陥ることがあります。

大夫種たいふしょう商鞅しょうおう白起はくき孝己こうき伯奇はくきはみな、そのような例にあたります。
(かれらは忠臣や孝行な子でありながらも、主君や父によって粛正された人物たちです)

そのようなことが起きたのは、骨肉の親が裏切りを好んだり、災いを喜んだりしたからではありません。

恩愛の気持ちが他に移った上に、悪口を述べ立てて間を引き裂くものがいたからで、そうなると、忠臣であっても君主の気持ちを動かすことができず、孝子であっても、父親の心を変えることはできません。

権力や利害が圧力として存在すれば、肉親でさえも仇敵に変えてしまうのですから、ましてや、肉親でない者はどうでしょうか。
(ここで、養子である劉封の立場が危ういことを示唆しています)

だから申生しんせい衛伋えいきゅう禦寇ぎょこう楚建そけんは親から伝えられた気質を備え、後を継ぐべき嫡子でありながらも、あのような有様となってしまいました。
(名を挙げられているのは、いずれも、他の子を後継ぎにしようとする父王によって、殺害された王族たちです)

現在、あなたは漢中王(劉備)にとって、行きずりの人であるにすぎません。

親子と言っても、血肉を分けた間柄ではないのに、権勢のある地位を得て、道義の上では君臣の間柄ではないのに、官職を受けて高位についています。

遠征の際には責任者としての権限を備え、出陣していない時には副将軍の称号を持っておられますが、それは周知の事実です。

阿斗あと(劉禅)が皇太子に立てられて以来、心ある人はあなたのために、心が凍えるような思いをしています。

もしも申生が子輿しよの言葉に従っていたならば、必ず太伯たいはくのようになったでしょうし、衛伋が弟の亡命計画を受け入れていたならば、父に対する非難が表に出ることもなかったでしょう。
(太伯は弟に地位を継がせるために出奔し、後に呉の主となった人物です)

その上、小白しょうはく(斉の桓公)は他国に出奔したおかげで、後に帰国して覇者となりましたし、重耳ちょうじは土塀を乗り越えて逃走したおかげで、最後には祖国に復帰することができました。

昔からこういった事例はたくさん存在しており、今に始まったことではありません。
(つまり劉封にも蜀を離れよ、と勧めています)

英知のうちでも、災いを免れる英知が尊ばれ、聡明さのうちでも、いち早く事態を察知する聡明さが重んじられます。

私の見立てでは、漢中王は心中ですでに決断を下しており、あなたに対して疑念を抱いています。

決断を下せば心は固くなり、疑念が生じれば、心に危惧が起こります。

混乱や災いが発生するのは、古来より、太子の廃立に関する時だと決まっています。

それに関わると、人の怨恨の感情は、表に出てこざるを得なくなります。

おそらく側近の臣下たちは、必ずや漢中王の耳に、讒言ざんげんを吹き込むことでしょう。

そうなれば疑念は固まり、怨恨が耳に届き、ばねを弾くようにして、すぐに災いが起こるでしょう。

現在、あなたは都を離れて遠くにおられるので、息をつくことができていますが、もしも魏の大軍が侵攻し、あなたが拠り所を失って帰還されることになればどうなるだろうかと、ひそかにあなたのために危惧しています。

昔、微子びしは殷を去り、智果ちかは一族から別れましたが、それによって危難をまぬがれました。

災いから逃れるために、やはりみな、そのようにふるまったのです。

今、あなたが父母を捨てて他人の子になったのは、礼に外れる行いです。

災いが降りかかろうとしているのを知りながら、なおもとどまるのは、英知にもとる行いです。

正しい意見を耳して、これに従わないのは、道義に反しています。

自らを立派な一人前の男だと称していながら、この三つを犯すようでは、どうして人から尊重されることがありましょうか。

あなたの才能をもって、身を捨てて東方へおいでになり、羅候を継承をなさるのであれば、親に背いたことにはなりません。

北へ向かって君主(曹丕)に使え、それによって国の大綱を正すのであれば、旧知を捨てたことにもなりません。

怒りにまかせて乱を起こすことなく、危難をまぬがれるためであれば、虚しい逃避行にはなりません。

それに加え、我が陛下は漢から禅譲を受けられ、何ら邪心なく、賢人の到来を待っておいでです。

そうして徳によって遠くのものを懐かせ、従わせておられます。

もしもあなたが心を入れ替え、こちらにおいでになるのであれば、私の同僚となって三百戸の封土を受け、羅国の跡を継承されるだけでなく、さらに大きな国を領地として賜り、初代の君主となられることでしょう。

我が陛下の大軍は、銅鑼どらや太鼓をとどろかせ、蜀と呉に迫るため、えんとうに都を移そうとしておられます。

そして蜀と呉を平定しなければ、いつまでも軍を戻さない覚悟です。

あなたはこの機会に早く、良計を定められるのがよろしいでしょう。

えき』には、『大人たいじん(至高の位を持つ人)を見るに利あり』、『詩経』には『自ら多福を求める』とあります。

これらの言葉を用いるべきです。

今、あなたは努力をなさり、狐突ことつのように、門を閉ざして外出をしなかったふるまいを、私にさせないでください」

狐突は春秋時代の晋の臣下で、太子申生に戦いを辞めるように進言したものの、裏切り者ではないかとそしりを受けた人物です。

それを晴らすために、家にこもって一歩も外に出ませんでした。

孟達を疑って勧誘を拒否するないことがないように、劉封にこのように伝えたのです。

孟達はこの手紙によって、劉封の置かれた状況を的確に指摘し、魏に降伏をした方が身のためだ、と告げました。

懇切な内容で、劉封にとっては耳を貸した方がよいものでした。

しかし劉封には、英知も道義も備わっていなかったようで、せっかくの孟達の助言をいかすことができず、死を迎えることになってしまいます。

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