孫策 周瑜と協力し、呉の礎を築いた天才武将の生涯

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笮融の軍勢を撃破する

孫策は残る笮融を討つべく、再びその軍営に攻めこみます。

しかしその際に、流れ矢に当たって股を負傷し、馬に乗れなくなってしまいました。

このために孫策はいったん、輿に乗って牛渚に撤退しています。

するとやがて笮融の元を、逃亡した孫策軍の兵士が訪れ、「孫郎そんろう(孫家の若君)は、矢傷が元で死んでしまいました」と告げました。

笮融はこれを聞いて大喜びし、配下の于茲うじを送って孫策軍を攻撃させます。

しかしこれは孫策がしかけた罠であり、孫策は笮融が引っかかったと知ると、ただちに数百の歩兵と騎兵を出撃させ、これを迎え討たせました。

そして笮融軍が攻めかかってくると、わざと負けたふりをして敗走させ、敵を引き寄せます。

このようにして敵が深入りしてくると、孫策があらかじめ配置しておいた伏兵が背後から攻めかかり、挟み撃ちにしました。

こうして孫策は于茲の部隊を策略によって撃破し、千以上の首級をあげて大勝しました。

孫策は自分が負傷したことをむしろ奇貨として、敵をおびき寄せるための罠として活用したのです。

孫策には転んでもただでは起きない、たくましさがありました。

笮融を引きこもらせ、勢力を拡大する

孫策はその後、すぐに笮融の軍営に向かうと、左右の者たちに、「孫郎のお手並みはいかがかな!?」と叫ばせました。

出撃した部隊が全滅し、孫策が生きていることを知った笮融軍の将兵は怖れおののき、夜中に大勢が逃亡します。

こうして兵力を大幅に減らした笮融でしたが、堀を深くし、とりでを高く築き、しぶとく防衛を続けました。

笮融は孫策にはかなわないものの、それなりの能力を持った武将だったようです。

このために孫策は無理に攻めることはせず、劉繇の他の部隊に狙いを変え、海陵、湖孰こじゅく江乗こうじょうといった地に駐屯する各部隊を撃破し、着実に勢力圏を広げていきました。

劉繇が逃亡し、曲阿を得る

こうして劣勢に陥ると、もともとが武人ではない劉繇は孫策を怖れるようになり、やがて曲阿を捨てて逃亡してしまいました。

そして劉繇の部下たちもまた、みな城郭を捨てて他の土地に逃げて行きます。

このために孫策は曲阿をやすやすと占拠し、確固たる拠点を手に入れたのでした。

このころの孫策は、まだ年が若かったため、官位があったにも関わらず、「孫郎」というあだ名で呼ばれていました。

曲阿の役人や民衆は、「孫郎が来た!」と聞くと非常に恐れ、山野に逃げこみます。

しかし孫策がやってきて実際に統治を始めると、兵士たちは軍律を守って略奪をせず、家畜などにも手を出しませんでした。

民衆はそれを知ると大いに喜び、争って牛や酒をたずさえて孫策の陣営を訪れ、その勝利を祝います。

こうして孫策は民衆の支持を得て、曲阿の支配者の地位を確立したのでした。

寛大な措置をとり、兵力を大幅に増強させる

孫策は将兵たちに恩賞を与えてねぎらうと、その次に、敵対していた者たちへの布告を出しました。

それは「劉繇や笮融の子飼いの者であっても、降伏をしてきたら、罪は一切問わない。その中に従軍を願う者がいるのであれば、これを受け入れる。そして一人が軍役に従事するのなら、その家族の税を免除する。しかし、従軍を願わぬ者には、一切強制はしない」という内容でした。

この寛大かつ公正な布告によって、孫策の人望が一気に高まり、わずか十日ほどで二万の兵士と、千頭以上の馬が手に入りました。

こうして孫策は勢力の領袖として、優れた手腕を持っていることを証明します。

このときに孫策はまだわずか二十才であり、末恐ろしい若者だったと言えるでしょう。

呉の諸勢力を殲滅する

こうして孫策は拠点を手にしたものの、まだ周辺の地域には厳白虎げんはくこなど、数千から一万程度の兵力を持った独立勢力が割拠していました。

このため、叔父の呉景ら、孫策勢力の重鎮たちは、まず厳白虎を討ち破り、それから豊かな会稽に攻めこみ、勢力を伸ばしてはどうか、と主張します。

これに対し孫策は、「厳白虎などは群盗にすぎず、大きな野望もなく、恐れるには足りません。いつでも捕虜にすることができます」と豪語し、兵を率いて浙江せっこうを渡り、会稽を占拠して新たな根拠地としました。

そして鄒他すうた銭銅せんどう王晟おうせいといった諸勢力を攻撃し、宣言通りに難なく撃破します。

そして孫策は、彼らを一族もろとも皆殺しにするという、苛烈な処置をとりました。

ただ王晟だけは、母にたしなめられたために、見逃しています。

孫策の母は賢婦人として知られ、孫策にもたびたび助言をしていました。

この時には「王晟どのは、かつてお前の父と親しく、私とも面識があります。いまその子どもや兄弟たちはみな斬首され、老人がひとり残っているだけです。何を恐れることがありましょう」と述べ、王晟を見逃すように促しました。

孫策は非常に強く、有能ではあるものの、人命を軽んじる傾向にあり、その点を危惧されて、このような助言を受けたのだと思われます。

実際のところ、こうした孫策の性格が、やがて大きな問題を引き起こすことになります。

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