その後の上杉氏
謙信の死後には、御館の乱という大乱が発生し、上杉氏の勢力は大きく減少してしまいました。
謙信は生涯に渡って一度も結婚しておらず、代わりに何人もの養子を取っていました。
しかしこれらの養子のうちの誰を後継者とするか定めていなかったため、家督相続を巡る争いが発生してしまったのです。
最終的には姉・仙桃院の子で、甥にあたる景勝が後継者となりますが、内乱が長く続いたために越後は荒廃してしまい、織田信長に押されて滅亡の危機に瀕することになります。
謙信が死去して圧迫がなくなったこともあり、信長はその後勢力をさらに伸ばして行き、ついに謙信が晩年の目標とした、足利幕府の復興が成されることはありませんでした。
室町幕府の最後の守護者になろうとした謙信の死によって、足利の世は完全についえてしまったのだとも言えるでしょう。
謙信はこれほどの軍事の才能を持ちながら、どうして天下を取れなかったのか、といった問いかけをする人もいるようですが、それはやや的はずれな見解かもしれません。
謙信にはそもそも自身が天下人になりたいという野心はなく、滅びゆく室町幕府の忠臣として尽くした人物なのだと捉えるほうが、彼を理解する上で、より有益な視点を持てるのではないかと思います。
謙信という個性
これまで見てきたとおり、謙信は非常に個性豊かな人物でした。
軍を率いれば「日本無双」と武田信玄に言わしめるほどの戦上手であり、にも関わらず、この時代としては珍しいほどに領土欲のない人物でした。
謙信は武将として自分を位置づけていたでしょうが、同時に仏教への信仰心が強い人物でもありました。
仏教では現世の欲望の追求を否定していますので、それを真剣に守っていたのだと思われます。
生涯に渡って結婚をしなかったのも、仏教徒としての自分の生き方を貫くためだったのでしょう。
(謙信は源氏物語を好み、和歌の恋歌を読むのが得意だったという意外な一面もありました。いくつかの恋愛に関する逸話もあり、女性を強く避けていたわけではないようです。)
この時代は基本的に実力主義であり、あらゆる謀略を用いて勢力を拡大しても、それを咎められることは少なかったのですが、謙信は人を裏切ったり騙したりしたことはなく、清廉な行動で一貫しています。
このような人物は周囲に陥れられて悲運に落ちることが多いのですが、その圧倒的な軍事能力によって、敵対者たちと互角に渡り合っていきました。
このような生き方を生涯に渡って続けたのは、戦国時代を通しても謙信ただひとりです。
謙信はこの時代において唯一の個性の持ち主であり、戦国の群雄の中でも際立った存在として、今後も語り継がれていくことでしょう。