項伯が張良の元を訪れる
この時、かつて下邳で張良に匿われていたことのある項伯は、甥の項羽の陣営に参加していました。
劉邦が殺害されると、その側近である張良もまた殺される可能性があるため、項伯は密かに陣営を抜け出し、張良の元に駆けつけました。
そして「一緒に逃げよう」と言いますが、張良はこれを断ります。
「私は韓の復興のために沛公の力を借り、その恩義があったから秦まで一緒にやって来たのです。ここで沛公を見捨てて逃げるのは、不義にあたります」と言って項伯に劉邦に会うように頼み、宿舎に連れていきました。
そして張良が劉邦に事情を話すと、項羽に殺害されそうになっていると知った劉邦は、震え上がりました。
劉邦は自分も項伯と仲間になることで救ってもらおうと考え、項伯と婚姻関係になることを約束し、義の盟約に参加します。
これによって項伯には、劉邦を救う義務が生じました。
張良はこういう展開になることを予測した上で、項伯を劉邦のところに連れて行ったのでしょう。
鴻門の会
項伯は項羽の元に戻ると、劉邦のために釈明を行い、身内に甘い項羽の気分を和らげることに成功します。
そして劉邦自身も謝罪のために項羽の陣地を訪れることになり、鴻門(こうもん)という場所で両者は会見を行いました。
張良と、そして劉邦の護衛を務める樊噲(はんかい)がこれに同行し、劉邦を補佐することになります。
しかし会見場に樊噲は入ることができず、劉邦と張良の2人だけで項羽に会うことになりました。
この時に張良は、劉邦にひたすら頭を下げ、項羽にへりくだり、屈服した様子を見せるようにと助言しています。
項羽は逆らう者は容赦なく打ち砕く強壮な人物でしたが、下手に出てくる人間には弱いという性質があり、これを利用することにしたのです。
張良に言われた通り、劉邦は項羽にひたすら頭を下げて謝罪し、項羽の殺意を弱めました。
そして「私たちは協力する間柄であったのに、小人の讒言によって項羽将軍と臣(劉邦のこと)が不仲になったのは残念です」と述べたため、項羽は「告げ口をしたのは曹無傷だ」と劉邦陣営の裏切り者の名を漏らしました。
范増の策
こうして項羽は劉邦と打ち解け、すっかりと殺害する意欲を失ってしまいました。
張良が予測したとおり、項羽はいったん哀れみを感じると、その相手を害することができない性格でした。
やがて和解を祝して宴会が始められますが、この時に項羽の参謀・范増(はんぞう)は、劉邦の殺害をあきらめていませんでした。
范増は劉邦の陣営の力をあなどっておらず、この機会に殺害しておかなければ、後に災いになると見抜いていたのです。
このため、宴会の余興として剣舞を見せ、機を見て劉邦を斬り殺させようとしました。
項羽の従弟の項荘を呼び、策を授けて剣舞を行わせますが、これを察知した項伯が相手役をつとめ、劉邦を守ろうとします。
項伯は項荘が劉邦に近づこうとする度にこれを押しとどめますが、いつまで守りきれるかはわかりません。
これを見て、張良が動きました。
樊噲を呼び入れ、劉邦を離脱させる
張良は宴席を中座し、外で待たされていた樊噲を呼び出します。
そして宴席に乱入し、劉邦が脱出するための隙を作り出すように、と要請しました。
樊噲は命知らずの豪傑であり、自身が項羽の怒りを買って死ぬかも知れないことも恐れず、盾で警備の兵を追い払って宴席に乱入します。
そして「戦勝の祝いのお流れを頂戴したく、参上しました!」と大声で呼ばわると、その勢いに飲まれて剣舞は中止となり、劉邦は危ういところを救われました。
豪傑を好む項羽はこの乱入をむしろ喜び、大きな盃に酒を注いで樊噲に与えました。
樊噲はそれを一息に飲み干し、豚の肩肉をまるごと平らげるなどして項羽の歓心を誘います。
項羽にさらに酒を勧められると、樊噲は「沛公は先に咸陽に入りましたが、略奪もせずに項羽様の到着を待っていました。函谷関に兵を配置していたのは、賊の侵入を防ぐためです。にも関わらず、告げ口を信じて功のある沛公を殺害しようとするのは、秦の行った暴虐となんら変わりがないのではないですか?」と述べ、項羽に迫りました。
これは道理の通った発言であったため、項羽も思わず口ごもってしまいました。
そして樊噲をなだめるために宴席への参加を認めますが、こうして彼が周囲の注意を引きつけるうちに、張良は劉邦を外に逃がします。
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