袁紹 曹操と覇を競うも、官渡で敗れた名門の当主

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袁術を宮廷の警備につけようとする

何進はこれに加え、虎賁こほん中郎将(近衛隊長)の袁術に対し、二百人の温厚な兵士を選び、彼らを宮中に入れるようにと命じました。

これまで宮中の門は宦官が警備を担当していたのですが、何進は近衛兵と交代させることにより、何太后と宦官たちへの圧迫を強めようとしたのでした。

このようにして、何進は袁紹と袁術を用い、宦官を抑えることを図りました。

袁術は袁紹の従弟で、袁紹に対抗心を抱いていましたが、この時期は宦官打倒のために協力関係にあったようです。

何進の参内を止めようとする

一方で、中常侍の段珪だんけいらは太后の命令だと偽り、相談があると告げて何進を宮中に参内させようとします。

危機が迫ってきたと悟った宦官たちは、ついに何進を暗殺することにしたのでした。

袁紹はこれを察知し、何進に進言します。

「黄門と中常侍は何代にもわたって大変な勢力があり、その威光は天下を圧しています。

以前、竇武とうぶ(以前の大将軍)は彼らを処刑しようとし、逆に殺害されてしまいました。

その原因は事前に計画が漏れ、五営の士卒を用いようとしたことにあります。

五営の士卒は都で育っており、宦官に対して恐怖心を持っていました。

にも関わらず、竇武はその矛先を用いようとしました。

すると彼らは寝返って宦官に従属したので、竇武は自ら破滅を招いてしまったのです。

将軍は太后の兄君という尊い身分であられ、弟君もまた車騎将軍として強力な軍勢を抱えておられます。

配下の将軍たちや軍官はみな英雄や名士であり、勇んで死力を尽くして戦うでしょう。

事は将軍の手中にあり、天の時にも恵まれています。

いま、天下のために貪欲な、汚らわしい者たちを排除すれば、その功勲は顕著で、名を後世に残すことになります。

たとえ周の申伯しんはくであっても、問題にはなりません。
(申伯は周代の王后の父で、王を補佐して功績を立てた人物です)

いま大行(先帝の遺骸)は前殿におわしますので、将軍は詔勅に従って軍を統率し、宮殿の外を警備されるべきで、宮中に参内なさってはなりません」

重ねて制止するも、何進は耳を貸さず

何進は袁紹の助言を聞き入れたのですが、しばらくすると心がゆれ動き、迷う様子を見せるようになります。

袁紹は何進の変心を恐れ、強い言葉でこれを制止しようとします。

「今、我らと宦官たちの対決の姿勢は鮮明で、はっきりと敵対する状態になっています。

どうして将軍は速やかに決心をなさらないのですか。

ぐずぐずしているとやがて変事が発生し、機会を逃せば災いがふりかかりますぞ」

しかし何進はこれを聞き入れず、ついに参内してしまいました。

つまるところ、何進には決断力も判断力も欠けており、大将軍の地位にふさわしい器の持ち主ではなかったのでしょう。

こうして袁紹の努力もむなしく、何進は自ら死地に向かってしまったのでした。

何進が暗殺され、皇帝が宮中から連れ出される

参内した何進は、袁紹が心配していた通り、宮中で殺害されてしまいます。

これを知った袁術は、近衛兵を率いて南宮の嘉徳かとく殿と青瑣せいさ門に火を放ち、段珪らを追い立てました。

しかし段珪らはこちらの方面には出てこず、皇帝とその弟を強引に連れだし、小平津しょうへいしんに逃走します。

袁紹が宦官を抹殺する

袁紹は、宦官に取り立てられた司隷校尉の許相きょそうを斬ると、兵を指揮して宦官たちを捕らえ、年齢の区別なく、彼らをみな殺害しました。

ひげを生やしていなかったために誤って殺害された者もおり、裸になってみせたことで、やっと許される者もいるありさまでした。
(宦官は去勢されているので、そうでないことを服を脱いで証明したのです)

宦官の中には品行が正しく、善良な者たちもいましたが、袁紹はそれにかまわず、全員に危害を加えています。

この行きすぎの措置によって、死者は二千人あまりとなり、宦官の勢力は完全に潰えました。

こうして袁紹と袁術の行動は成功したかに見えたのですが、皇帝の身柄を抑えそこねたことが、災いを呼ぶことになります。

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