袁紹 曹操と覇を競うも、官渡で敗れた名門の当主

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地下道の攻防

櫓による攻撃が失敗に終わったので、袁紹は地下道を掘らせ、そこから曹操の陣営を攻撃しようとします。

これを受け、曹操は陣営の内から長い塹壕を掘って対応しました。

またその一方で、奇襲部隊を送って袁紹の輸送隊を襲撃させ、これを撃破して多くの食糧を焼き払います。

こうして戦況が膠着し、持久戦の様相を呈していきました。

こうなってくると、沮授や田豊が述べていたように、物資の蓄えが充分でなかったことが、袁紹軍に重しとなってのしかかってくるようになります。

許攸の襲撃案を拒否する

参謀の許攸はこういった状況に陥る前に、曹操と正面から打ち合うのではなく、別動隊を許に派兵し、皇帝の身柄を抑えてしまうようにと進言していました。

曹操の強みは皇帝の身柄を抑えていることにあり、これを失わせれば、袁紹は曹操自身を打ち負かさなくとも有利になりますので、妥当な提案でした。

しかし袁紹は「わしはどうしても曹操を先に包囲し、打ち倒したいのだ」と述べ、この作戦を拒否します。

このため許攸は腹を立て、袁紹に失望しました。

この頃になると、袁紹は人の意見に耳を貸さず、個人のこだわりを優先するようになっていました。

これではいくら優れた参謀を集めても、まったくその力をいかせないわけで、袁紹は不利な状況へと、自分で自分を追い込んでいったのだと言えます。

互いに消耗する

戦いが長引くと人々は疲弊していき、曹操軍では多くの者が謀反を起こして寝返り、兵糧が欠乏します。

この頃には曹操も弱気になり、許を守っていた荀彧じゅんいくに手紙を送り、撤退を検討していることを告げました。

しかし荀彧に励まされて官渡に留まり、また、打開策を賈詡かくに相談すると、好機を捉えて攻勢に移れば勝利は可能だと言われ、その機を待ち構える体制を取りました。

このあたりの曹操の様子は、参謀たちの助言を拒否し続けていた袁紹とは、ちょうど真逆の態度でした。

一方で、袁紹は失った物資の穴埋めをするため、淳于瓊に命じて一万の兵を統率させ、輸送車を迎えに北に向かわせます。

沮授はこの時、「将軍の蔣奇しょうきを派遣し、別動隊として淳于瓊を支援させ、曹操の攻勢を断つべきです」と進言しました。

しかし袁紹はまたしても沮授の意見を取り入れず、淳于瓊は単独で行軍します。

許攸が寝返る

先に袁紹に提案を拒否された許攸は、欲深な人物でしたが、袁紹が満足な報酬を渡さないために、不満を抱いていました。

許攸は淳于瓊が出陣し、袁紹の本営から北に数十里離れた烏巣うそうに駐屯したのを機に、この重要な情報を曹操にもたらすことを土産として、寝返りをうちます。

曹操の幕僚たちは許攸を信用しようとしませんでしたが、荀攸と賈詡だけが、これを勝機だと判断し、淳于瓊を襲撃することを進言しました。

曹操が出撃する

曹操はこれこそが戦況を逆転させる好機だと判断し、自ら五千の歩兵と騎兵を率い、夜の闇に乗じて進軍します。

そして烏巣に到着すると、淳于瓊に強襲をしかけました。

袁紹はこの頃になってから、ようやく救援の兵を差し向けましたが、すでに手遅れで、曹操によって敗走させられます。

淳于瓊は討ち取られ、部隊は壊滅し、補給物資はことごとく失われました。

こうして袁紹はただ一度の戦いを機に、一気に不利な状況に追い込まれます。

張郃らが降伏する

袁紹は烏巣に兵を差し向けるのと同時に、曹操が不在の官渡に対し、攻撃をしかけさせていました。

これは郭図の主張を受け入れ、両面作戦を取ることにしたためです。

こちらは張郃と高覧が担当しましたが、官渡は曹洪らが堅く守っており、打ち破ることができませんでした。

そもそも張郃は淳于瓊を全力で救援するべきだと主張し、官渡に攻撃をしかけることには反対していたのですが、無理にやらされていたために、士気が低い状態でした。

その上で淳于瓊が打ち破られ、物資も失われ、さらには郭図が敗北の責任を免れようとして、「張郃は敗北を喜び、不遜な態度を取っています」と、袁紹に讒言ざんげんをします。

この結果、身の危険を感じるようになった張郃と高覧は、曹操軍に降伏を申し入れました。

郭図は沮授を貶め、袁紹に取り入って自身の権限を強化しましたが、その実力はたいしたものではなく、袁紹の勢力を弱体化させる結果を招いています。

つまり郭図は佞臣であり、袁紹は彼を重く用いたために敗北したのだと言えます。

袁紹には、人を見る目がなかったのでした。

このようにして、袁紹軍は烏巣の一戦をきっかけとして崩壊し、優位は完全に失われました。

敗北を悟った袁紹は単騎で逃走を図り、黄河を渡ってかろうじて逃げのびます。

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