諸葛亮はどうして何もしていなかったのか
諸葛亮は自分の才能に自信を持っていながらも、自分からはどこにも仕官しようとせず、隠者の暮らしの中に埋もれていたようです。
その気になれば朝廷に仕官し、地位を高めていくことも可能でしたでしょうが、諸葛亮はそうしませんでした。
三国志に注釈をつけた裴松之は、「宇宙よりも大きな志を持ちながら、北に向かって曹操に仕えなかったのは、権力がすでに移り変わり、漢朝が傾き倒れようとしている中で、皇族の英傑を補佐し、衰退した王朝を復興させることを、おのれの責務としたからだろう」と推測しています。
その後の諸葛亮の行動からして、漢王朝の側に心を寄せていたのは事実だったでしょう。
そして漢王朝が崩れ、姦臣が権力を奪うのなら、世に隠れて生涯を過ごすことになったとしてもかまわないと、あるいはそのような諦念すら抱いていたかもしれません。
それが才能に自信を持ちながらも、隠者の暮らしをするという屈折した行動に、表れているように思われます。
三顧の礼
劉備はやがて諸葛亮の草庵を訪れましたが、なかなか会えず、三度目の訪問にして、ようやく会うことができました。
これが「三顧の礼」という故事になっています。
劉備は当時、左将軍・宜城亭候という高い身分にあり、無位無官の諸葛亮に、そこまでして会おうとするのは、奇特な行動だったと言えます。
まだ会ってもいない諸葛亮をそこまで見込んでいたということになりますが、司馬徽と徐庶が薦めるのであれば、という思いがあったのでしょう。
ともあれ、この劉備の懇切な行動が、なかなか動こうとしなかった諸葛亮の心に、強く働きかけたのは確かでした。
劉備の相談
劉備は諸葛亮に会うと、率直に自分の抱えている問題を相談しました。
「漢朝は傾き崩れ、姦臣が天命を盗み、主上(皇帝)は難を避けて都を離れておられる。
わしは自分の徳や力量をかえりみず、天下に大義を浸透させたいと願っている。
しかし知恵も術策も足りないので、結局は悪がはびこり、今日に至っている。
しかし今もなお、志がやむことはない。
君はどのようなはかりごとによって、これを安んじることができると思うか?」
天下三分の計
これに対し、諸葛亮は次のように答えました。
「董卓が台頭して以来、豪傑が次々と蜂起しました。
そして州をまたがり郡をつらね、独立割拠した者は数え切れないほどになりました。
曹操は袁紹に比べますと、名声は小さく、軍勢も少ない状態でした。
しかしながら、曹操が袁紹に勝利し、弱者から強者になったのは、天の与えた時機だけでなく、人が立てたはかりごとの力によるものです。
いま、曹操は百万の大軍を擁し、天子を擁立して諸侯に命令を下しています。
これはまことに、正面から戦える相手ではありません。
一方で、孫権は江東を支配し、すでに三代をへており、国は要害に守られ、民はなついており、賢人や有能な者たちが用いられています。
これは味方とすべきで、はかりごとをしかけるべき相手ではありません。
この荊州は、北は漢水と沔水にまたがり、その経済圏は南海にまで到達し、東は呉・会につらなり、西は巴・蜀に通じています。
これこそ武力の基盤とするべき国ですが、いまの領主(劉表)では、守りきることができません。
ここは天が将軍(劉備)に資本を提供する土地だと言えますが、将軍にその意志がおありでしょうか?
一方で西の益州は、堅固な要塞を備えた地で、沃野が千里も広がり、天の蔵とも呼べるところです。
高祖(劉邦)はこの地を基盤にして、帝業を完成させました。
この地の領主・劉璋は暗愚で、張魯と北で敵対し、人口が多く国が富んでいるのに、民の暮らしをかえりみないので、智謀を備えた有能な人士たちは、名君を得ることを願っています。
将軍は皇室の後裔である上に、信義が国中に聞こえ渡っており、英雄たちを掌握し、賢者を渇望しておられます。
もし荊州と益州をともに支配され、その要害を保ち、西方の諸部族を手懐け、南方の異民族を慰撫なさり、外には孫権と同盟し、内では政治を修められるとします。
そして天下に変事があれば、一人の上将に命じて、荊州の軍を宛・洛(首都圏の南側)に向かわせ、将軍ご自身が益州の軍を率いて秦川(首都圏の西側)に出撃なさったならば、民衆は食糧と水筒を携え、将軍を歓迎するでしょう。
このようになされば、霸業が成就し、漢王朝は復興するでしょう」
こうして示されたのが、いわゆる「天下三分の計」です。
これを聞いた劉備は「よきかな」と言ってうなずきました。
諸葛亮ははじめて劉備に会ったときに、優れた見識の持ち主であることを示し、強く関心を引くようになったのです。
劉備の元には、関羽や張飛のような優れた武人たちはいましたが、智謀に優れた人材を欠いていました。
それがいま、眼前に姿を現したわけですので、劉備は目を見張る思いを抱いたことでしょう。
そして諸葛亮にとっては、隠者の暮らしを抜け出し、世に出るきっかけとなったのでした。
【次のページに続く▼】