韓信が斉を攻め落とす
こうして劉邦と項羽の戦いが膠着する中、劉邦の命令によって斉に攻め込んだ韓信は、短期間で攻略に成功します。
ところで、劉邦は韓信に斉の攻略を命じていましたが、一方で韓信には連絡をせずに、酈食其を斉に送り、降伏を勧告していました。
斉王はこれを受け入れて漢に従うことにしますが、これを後から知った韓信は、弁士・蒯通のそそのかしを受け、斉に侵攻します。
蒯通は「これをそのままにすれば、酈食其の舌先の功績が、あなたの武功を上まわることになりますが、それでいいのですか?」と言って、韓信を煽ったのでした。
この結果、降伏をしてたために備えを解いていた斉の諸城はたやすく落城し、韓信は斉を制圧することができたのでした。
しかし、だます結果となった酈食其は斉王に煮殺されてしまい、後味の悪い成功になってしまっています。
劉邦が韓信への連絡を怠ったことが原因でしたので、この行動がとがめられることはありませんでした。
韓信には、修武で兵を取り上げられたことに対し、意趣返しをしたい気持ちがあったのかもしれません。
なんにせよ、韓信は劉邦の意向を無視した行動を取り始めており、両者の関係はぎくしゃくとし始めます。
龍且の軍を打ち破る
斉は70城を擁する大国であり、敵にまわると大変にやっかいですので、項羽もこれを放置することはできませんでした。
このため、項羽は将軍の龍且に20万という大軍を預け、斉に攻め込ませて韓信を討とうとします。
しかし龍且は水計を用いた韓信に敗れ、自身も討ち取られてしまいました。
この結果、韓信はこの戦いの帰趨を決する上で、さらに重要な意味を持つ存在となっていきます。
韓信を斉王に封じる
広武山で項羽と苦しい戦いを続けるさなか、斉の制圧に成功した韓信からの使者が、劉邦の元にやって来ました。
この使者は、「斉の統治を安定させるため、斉の仮の王に封じてほしい」という韓信の要望を伝えます。
項羽の攻撃への対処に悩まされていた劉邦は、人が苦しんでいるのに、自分だけが栄達したいのかと、韓信の要望に対して怒りかけますが、側にいた張良が劉邦の足を踏みつけてこれをさえぎります。
そして、「もしもここで韓信の要望をはねつければ、彼は離反して独立する可能性があります」と耳元でささやき、要望通りに王位を与えることを勧めました。
これを聞いて劉邦はすぐに状況を理解し、「仮の王などと言わず、正式に王となれ」と返答し、韓信が斉王になることを認めました。
こうして韓信はついに王位を手に入れることになるのですが、これは劉邦の傘下であるとは言え、同格に並ばんとする行為であったため、劉邦に警戒心を抱かせることにもなりました。
韓信の能力と軍事力をかんがみれば、劉邦から独立し、天下を我が物にしようと野心を抱いたとしても、おかしくなくなっていたのです。
項羽が韓信に使者を送る
一方で、派遣した龍且を討ち取られたことで、項羽も韓信の実力を認めざるを得ず、使者を送って漢の傘下から離脱させようとしました。
武渉という男が項羽の使者となり、「劉邦は鴻門の会で見逃してもらったにも関わらず、項羽様を攻撃するような、信頼できない人間ですから、従わぬ方がよいでしょう。漢から離脱し、楚とともに戦いませぬか?」と言って説得しようとします。
しかし韓信は「かつて項羽に仕えたことがあったが、一兵卒として扱われ、冷遇された。これに対し、劉邦様には大将軍に抜擢され、斉王に封じてもらった恩がある」と答え、すぐに断っています。
張良が助言した通り、斉王に封じたことが、韓信を劉邦の元につなぎとめるのに役立ったのでした。
もしも劉邦が怒りのままにはねつけていれば、韓信は項羽からの誘いを機に、離反してしまったかもしれません。
このように、張良は遠く離れた場所にいる人間の心理をも、的確に読み解く能力を備えており、このためにその策も助言も、常に的を外すことはありませんでした。
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