信長独自の政策
この時代の武将たちは、独自に領地を持ち、その土地に住んで領地経営を行うのが当たり前でした。
しかしこれでは、主君が家臣たちに参戦を要請しても、その軍勢が集合するのに時間がかかるという欠点がありました。
このため、信長は家臣たちが領地に住むことを許さず、清洲や岐阜などの本拠に居住させていました。
この政策により、信長が出陣を決意するとすぐに軍勢を集めることができ、素早い進軍が可能になっていたのです。
このことから織田軍は他の軍団よりも機動性が高くなり、優位に戦況を進めやすくなっていました。
秀吉の重用と但馬の攻略
この年の8月には、従属を断ってきた但馬(兵庫県北東部)の領主・山名祐豊を木下秀吉に命じて討伐させます。
この時の秀吉は2万という大軍を預けられ、10日間で18の城を攻め落とすという凄まじい戦果をあげました。
秀吉は上洛後に京都の奉行に任じられており、軍事・行政の両面において信長に重用されていたことがうかがえます。
それにしても、かつては雑用係でありながらも、軍事も行政も調略もこなすことができた秀吉という人の器用さは尋常ではありません。
この但馬の攻略によって信長は生野銀山を押さえてその鉱山収入を手に入れ、織田氏の財政はさらに豊かになりました。
伊勢の攻略
信長は美濃の攻略をはじめた頃から、家臣の滝川一益の進言を受け、伊勢(三重県)の攻略にも取りかかっていました。
伊勢は美濃の南西と接する隣国であり、こちらの方面からの美濃攻略の妨害を防ぐのがその目的でした。
1568年には北伊勢に勢力を持つ神戸(かんべ)氏と講和し、三男の信孝を養子として送り込むことで、勢力下に置いています。
そして1569年には南伊勢に侵攻し、領主の北畠氏を追い詰めます。
最終的にはこちらとも和睦し、次男の信雄を養子として送り込み、傘下に収めています。
伊勢の攻略にあたっては、このように子どもたちを有力な領主の家に養子として送り込み、取り込むという策を用いています。
これは伊勢には堅城が多く、攻略に時間がかかることを嫌ったという事情もありましたが、次男・三男を他家に養子に出すことで、将来の兄弟間の家督争いを予防する狙いもありました。
家庭の統率
信長は早くから長男の信忠を嫡男と定め、他の子どもたちよりも格上の存在として扱っています。
信長自身が弟の信勝と家督争いを演じた経験があり、同じことを自分の子どもたちにさせないための措置だったのでしょう。
このことから、信長が信勝との争いを心苦しく思っていたことがうかがいしれます。
信長はこのように、家庭の統御についても細かな気遣いをする人でした。
また、妻の家庭内における役割を重視しており、ある家臣が単身赴任をしていたところ、それを叱って妻を呼び寄せさせています。
武将は戦に出かけて不在であることが多かったので、妻にその間の家庭の維持を任せる必要があり、その働きを大事にするべきだという考えを持っていました。
武将の妻は家臣たちの世話をし、その面倒をみて家中の統率を高めるという、重要な役割を持った存在でもありました。
木下秀吉の妻、ねねは特にそういった働きに秀でていたと言われています。
戦国時代は女性に関する記録が少ないのですが、信長がこのような姿勢をもっていたため、信長の周囲にいた女性たちの記録は、比較的多くなっているようです。
成長と反動
こうして信長は尾張・美濃・伊勢・南近江・但馬・摂津に勢力を伸ばし、この時代における最大勢力の形成に成功します。
美濃の攻略からわずか2年ほどで、倍以上に勢力が膨らんだことになります。
一方で、信長の勢力の急成長を快く思わない勢力も増大してゆき、ここから数年は苦境に立たされることになります。
尾張や美濃に比べると、他の地域への伸張は拙速のきらいもあり、その反動がやってきたのだとも言えるでしょう。
朝倉討伐の開始
1570年になると、信長は朝倉義景が治める越前(福井)への侵攻を計画します。
信長は朝倉義景に対し、かねてより上洛して服属するように命令を出していましたが、いつまで待ってもこれに従わなかったため、ついに討伐することにしたのです。
かつて朝倉氏と織田氏は、ともに越前守護の斯波氏に仕えていた同格の家柄で、競争相手でもありました。
そういった歴史を持っているため、朝倉義景は成り上がった信長に従うことを拒んだものと思われます。
しかし、この侵攻にはひとつ問題がありました。
それは、浅井長政と同盟する際に、朝倉氏を攻撃する場合には、事前に通達するという盟約を結んでいたからです。
浅井氏はかつて滅亡の危機に瀕していた時に、朝倉氏の支援を受けてそれを切り抜けた経緯がありました。
そのため、朝倉氏の討伐に賛同するとは思えず、信長は長政に無断で越前への攻撃を開始してしまいます。
信長は長政を義弟として厚遇していましたので、過去の関係を捨ててきっと自分について来てくれるだろうと期待していたのでしょうが、その思いは裏切られることになります。
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