袁紹の承認を受ける
この頃、各地の諸侯の盟主は、袁紹が務めていました。
このため、陳登らは袁紹に使者を派遣し、徐州を劉備が支配するようになったことを報告しています。
「天が災厄を下し、災いが徐州にも及び、州を守る将は死去し、民には主がいなくなりました。
すると姦雄がその隙につけこみ、盟主さま(袁紹)が寝食を忘れるほどに、憂いを抱かせてしまうのではないかと、私たちは恐怖を感じました。
このため、すぐに協力し、元の平原の相である劉備を戴いて宗主とし、広く民衆に、頼るべき方がいることを知らしめました。
現在、外からの侵略があいつぎ、武装を解く暇もありません。
このため、慎んで下吏を派遣し、急ぎ申し上げる次第です」
すると袁紹は「劉玄徳は度量が広く、信義がある。
いま徐州が彼を戴くことを願うのは、まことに私の希望にそったものである」と答えました。
こうして劉備は承認を受け、完全に公孫瓚の陣営から離れ、袁紹の側にくみすることになります。
袁紹がこのように述べたのは、劉備を取りこむ意図があってのことだったのでしょう。
このあたりは、劉備が積極的に裏切ろうとしたというより、情勢に流されるうちに、そのような結果になってしまったのでした。
劉備が引き受けるのをためらったのは、公孫瓚との関係にも配慮してのことだったのかもしれません。
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