劉備玄徳 関羽や張飛とともに漢の復興を目指した、三国志の英傑

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糜竺の支援を受ける

劉備の軍勢は敗北が重なり、物資が欠乏し、壊滅の危機に陥ります。

すると糜竺が多額の資金を提供し、この危機を救いました。

糜竺の家は大変な富豪であり、小作人を一万人も抱えるほどの勢力がありました。

糜竺は財産の多くを費やして劉備を支援し、さらには妹を嫁がせ、縁戚関係にもなります。

こうして劉備は、またも人からの支援によって、立ち直ることができたのでした。

このことがあったので、劉備は以後、糜竺を尊重し、特に礼遇をするようになっています。

そして糜竺はこの後、富裕な家を捨て、劉備に従って徐州を離れ、各地をともに転々とすることになります。

よほどに、劉備の人柄に惚れこんでいたようです。

このようにして、人の心を一度つかんだら離さないのが、劉備が持っていた、際だった特徴でした。

賊を斬り、呂布と和睦する

いくらか勢力を盛り返した劉備は、徐州を荒らして回っていた、呂布傘下の楊奉ようほう韓暹かんせんを迎撃し、やがて会見を行い、その場で討ち取っています。

しかし依然として厳しい状況でしたので、呂布との交渉を開始しました。

すると呂布は劉備の妻子を返還してきたので、和睦が成立します。

呂布は徐州を抑えたものの、これによって今度は、袁術と対立する状況に置かれることになりました。

袁術に対抗するには、劉備の力は利用できると判断をしたので、和睦をすることにしたのでした。

劉備の兵団の強さが、劉備の存在価値を高め、生存させることにつながっています。

劉備はこの後で、関羽を下邳の守備に送り出しました。

小沛に駐屯する

しかし相手が信用のおけない呂布であり、その上、呂布の諸将もまた、劉備を疑っていましたので、劉備の立場は安定しませんでした。

「劉備はしばしば態度を変えますので、手懐けるのは困難です。

早く始末なさるのがよろしいでしょう」

そのように呂布の部下が進言をしましたが、呂布はこれを取り上げず、この状況を劉備に語りました。

このため、劉備は呂布の元に留まるのは危険だと考えます。

そして人を使って呂布を説得させ、下邳を離れて小沛しょうはいに駐屯することにしました。

劉備が態度を変える、と指摘されたのは、公孫瓚側から袁紹側に移ったことが言われているのだと思われます。

呂布が矢を射て袁術軍を撤退させる

一方で、袁術は弱体化した劉備を攻め滅ぼそうと、将軍の紀霊きれいに3万の兵を与え、再び攻めこんできました。

このため、劉備が救援を求めると、呂布が軍勢を連れて駆けつけます。

呂布は仲介役を買って出て、紀霊を宴会に招きました。

呂布はこの時、「わしは争いを好まない。それに、人の仲立ちをするのが大好きなのだ」などと言ってのけており、大変に面の皮が厚かったようです。

やがて呂布は陣営の中に、一本のほこを掲げさせました。

そして戟の先に一発で矢を当てることができたら、戦闘を中止して引きあげるようにと提案します。

紀霊がこれを了解したので、呂布は離れたところから矢を射かけ、宣言どおりに命中させ、妙技を披露しました。

これによって紀霊は約束通りに撤退し、劉備は危機を逃れています。

小沛を追われる

しかし劉備が小沛で、1万あまりまで兵力を回復させると、呂布はこれをいまわしく思うようになりました。

そして自ら出陣し、攻撃をしかけてきます。

すると劉備は敗走し、西に逃れて曹操を頼りました。

こうして劉備は呂布の思惑に振り回され、いったん徐州から退散することになります。

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