魏延を抜擢する
劉備が成都に戻ったため、漢中を統率し、魏の攻撃を防ぐ武将を配置する必要が生じました。
人々は、それまでの実績や、劉備軍中における地位からして、張飛が選ばれるだろうと考えていました。
しかし劉備が選んだのは魏延で、いきなり漢中の太守に抜擢します。
魏延は蜀の攻略戦から頭角を現した新顔でしたので、人々は驚きました。
劉備は群臣たちの前で、魏延に「いま君に大任を委ねるが、君はこの任務をどのようにして果たすつもりだ?」と質問をしました。
すると魏延は「もしも曹操が天下の兵をこぞっておし寄せてきたら、大王のためにこれを防ぐ所存です。
副将が率いる十万の軍勢が来るのなら、大王のためにこれを飲み込む所存です」と、堂々と答えました。
劉備はこの発言を褒め、群臣たちは見事な答えだと思いました。
こうして魏延は重臣の立場へとのしあがり、後に北伐でも活躍することになります。
劉備の人を見る目には、確かなものがありました。
関羽、張飛らを高位につける
そして劉備は関羽、張飛、馬超、そして黄忠の四人を、劉備軍の最高位に任命することにします。
馬超は元より名声がありましたが、黄忠は荊州占拠後から仕え初めた武将で、夏侯淵を討ったとはいえ、関羽たちよりは名声が劣っていました。
このため、諸葛亮は関羽が納得しないのではないかと危惧します。
すると劉備は「わしが自分で関羽に説明しよう」と答え、使者を送って関羽を説得させました。
関羽は諸葛亮が予想した通り、不満を述べ立てましたが、結局は説得を受け入れて承諾しています。
関羽は自尊心が強く、自分が一番でないと気に入らない、という性格でした。
このため、同格の武将たちとは折り合いが悪く、それがやがて不幸をもたらすことになります。
関羽が進軍を開始する
劉備が曹操を撃退し、漢中王となったことで、蜀の勢威は最大限に高まりました。
この機に関羽は荊州北部に向けて出陣し、樊城を守る曹仁を攻撃します。
関羽は魏の国内にいる賊たちを焚きつけ、反乱を起こさせてゆさぶりをかけました。
この結果、都でも反乱が起きる騒ぎとなり、曹操の足もとがゆさぶられます。
援軍を撃破する
関羽は魏軍よりも少数の兵しか率いていませんでしたが、一万にも匹敵すると言われた武威を見せつけ、天候を利用して魏軍を圧倒しました。
曹操は関羽が動いたと聞くと、将軍の于禁と龐徳に七軍を預け、樊城の救援に向かわせます。
すると付近に大雨が降り始め、川が決壊し、あたりが水浸しとなりました。
あらかじめ軍船を用意していた関羽は、それを用いて于禁を包囲し、降伏させます。
一方で、龐徳は矢が尽きるまで抵抗しましたが、ついに捕らえられ、降伏を拒んだために処刑されました。
こうして関羽は援軍を撃破し、曹仁を樊城に包囲し、追いつめます。
このまま陥落させれば、荊州北部は蜀のものとなり、いよいよ都にも迫れる状況となっていきます。
このため、曹操は北に遷都することを検討するほどに、関羽を恐れました。
司馬懿らの計略
しかし曹操に対し、司馬懿らが進言をしたことによって、この状況が覆されていきます。
司馬懿は孫権を味方につけ、関羽を撃退する策を提示しました。
荊州の長江以南を孫権に与えることを条件にして、関羽の背後をつかせ、魏軍と挟み撃ちにして倒す、というのがその策の内容でした。
曹操はこれを承認し、孫権に連絡を取ります。
すると、かねてより荊州で勢力を拡大したいと思っていた孫権はこれを受け入れ、呂蒙と陸遜に命じ、攻撃を開始させました。
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